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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

可哀想な高校生

元来の私は大変な引っ込み思案だった。

人前で話すことは大の苦手。作文や感想など書けないし思い浮かびもしない。少しでも排他的なことを言われると言い返せずすぐに泣いてしまう。そんな自分を変えたくて高校入学後すぐ演劇部へ入部した。決まったセリフを発することができるようになれば自己発信ができる自分へ繋がると考えたからだ。

 

結果は見事なものだった。

人前で表現発表すること、冗談を言うこと、機転の利いたアドリブで場を繋ぐこと、部員の演技に対して感じたことを述べること。

すべてができるようになった。できるどころではない。それらが快感にすら思えるようになった。

最終的にうまくいかないと思い込んで自殺未遂を犯したのは高校2年の夏休みだ。

 

これをもってして、精神科医曰く躁鬱の発症だったとのことだ。

 

そうなると、躁エピソードを亡くしたい私としては高校時代の惰性でなんとなくプレゼンが得意だと思っていたり、進んで司会進行役をやらなくてはと思ったり、何か面白いことを言わなければといった意味の分からない芸人魂を持ったりすることは少なくしていくことが望ましいのではないだろうかと最近になって思うようになった。

私が抱く私のイメージは幻想なのだ。

 

自分を変えたいと思った純粋な高校生が自分を変えたことにより病気とされるのは結構可哀想だ。しかしそれが世の中の尺度であり、私自身の困りごとに直結している以上、認めざるを得ない。

 

よくよく考えれば、20代前半など学生時代はまだまだ無自覚な躁鬱を繰り返していたのだと思う。自分で言っても空しいが、クラスでは人気者の類にあった。

社会人になった頃の都会は必要以上に輝いて見えたし、間もなく酷い鬱病相に見舞われる。絵に描いたかような躁鬱である。

 

今から引っ込み思案になろうとしてなれるわけでもないし、ひととしての歳月による変化も多少あるだろうことを差し引いて、ある程度おとなしい人間になれればよいのかと思ったり、思わなかったり…

 

以前の主治医の「あるがまま」という言葉がやたらと思い起こされる。