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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

ひとの分別と生きづらさ

近年、世の中には「生きづらさ」が溢れている気がする。

 

これは今までもあったことなのに、声に出せなかっただけのことなのではないかとなんとなく思う。

 

書店へ出向くと「自己肯定感」であったり「HSP」といった帯付きの書籍が平積みで置かれていたりする。それも、1冊や2冊ではない。

働き盛りとされる世代の人間が「自分の中の受け入れがたい何か」にこっそり悩まされているのだ。そういう時代になっている。

 

精神障害発達障害、知的障害などに関して、そうではない状態と線引きをするイメージはまだまだ払拭されない。私は世の中の「あちら側」の住人である。

「あちら側」に行くまいと、人々は必死なのだろう。

 

しかし実際のところ、「こちら側」と「あちら側」に明確な線など存在しない。

曖昧でいいし、曖昧なものだ。加えて障害の種類も細分化されて来ている。これでは「健常者(≒常に健やかな人)」を探す方が難しい。

 

それなのに「あちら側」と思っている。

なぜか。かつて「怠け病」などというレッテルを貼られた印象が抜け切らないことが理由の一つに挙げられることは容易に想像できる。

 

高度経済成長期からバブル経済期の大多数の日本人は怠けている場合ではなかった。

1分1秒を惜しんで働く。子供を産む、育てる。働く時間が長ければ長いほど(実際には中身が伴わないことがあったとしても)褒められる。人間とは褒められたい生き物だ。

いかに充実したプライベートを過ごすかで人間としての格が決まるかのような。この辺りは現代のインスタ文化などと変わらないかもしれない。

 

自ら進んで怠けていると思われたい人間はなかなかの少数派だろうと思う。頑張っている、要領がいい、格好いい。どちらかというと周りからはそんな風に思われたい。

そうすると理想の自分と実存の自分にズレが生じ、自己受容が困難になる。あるがままの自分や自分の変化を受け入れられない。だから生きづらいのだ。

 

それらは現段階では「グレーゾーン」と呼ばれるかもしれない。

ブラックでなければいい、そんな心理もあって当然だ。そうなると「こちら側」、「そちら側」、「あちら側」とでも分けろというのだろうか。

 

書いていてわけが分からなくなってきた。

無理やりにでも「分別」しないと世の中は回らないのだろう。

 

それにしてもごみの分別も適切に出来ない人間が多い世の中でひとがひとの分別など出来るものか、と心の中でこっそり思っておくことにする。