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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

たぶん生きてもよいという自信

生活環境が変わる。

だからといって慌てているわけでも困っているわけでもない。

これを人は「自信」と呼ぶのだそうだ。

 

入社日のことは今考えてもしかたがない。

もし気分が上がってしまったら、支援機関に相談すれば落ち着くことができる。

もしへこんでしまったら、気分を下げようとすることより断然ラクである。

もしこのままふらっとな状態でいられたら、それに越したことはない。

(If thenプランニング。)

どのような状況におちいっても早くにリカバリーできる安心感がある。

 

私の安心材料は主に人との繋がりにある。

各支援機関、病院、家族、友人、犬、そして自分で作ったセルフケアツールだ。

(家族と犬は若干の不安材料でもある。)

 

ストレスというものも随分理解できるようになってきた。

私の人生には就労以降支援事業所に通う2年と少しの期間が圧倒的に必要だったのだ。

本格的に通いたくなくなったことは4度はあっただろう。

ただ本格的に楽しかったことも結構あったのだろう。

生きていてもよい、それも楽しく。

楽しくてもよい、楽しい方がよい。

楽し過ぎたら心配、それに気がつくならよい。

 

私は「たぶん、生きていてよいのだ」と思える人間に成ることができた。

「たぶん生きてもよいという自信」のようなものは

今後何かに姿を変えるのか、変えないのか。

今の私にとってはほとんどどうでも良い事柄だ。