生活環境が変わる。
だからといって慌てているわけでも困っているわけでもない。
これを人は「自信」と呼ぶのだそうだ。
入社日のことは今考えてもしかたがない。
もし気分が上がってしまったら、支援機関に相談すれば落ち着くことができる。
もしへこんでしまったら、気分を下げようとすることより断然ラクである。
もしこのままふらっとな状態でいられたら、それに越したことはない。
(If thenプランニング。)
どのような状況におちいっても早くにリカバリーできる安心感がある。
私の安心材料は主に人との繋がりにある。
各支援機関、病院、家族、友人、犬、そして自分で作ったセルフケアツールだ。
(家族と犬は若干の不安材料でもある。)
ストレスというものも随分理解できるようになってきた。
私の人生には就労以降支援事業所に通う2年と少しの期間が圧倒的に必要だったのだ。
本格的に通いたくなくなったことは4度はあっただろう。
ただ本格的に楽しかったことも結構あったのだろう。
生きていてもよい、それも楽しく。
楽しくてもよい、楽しい方がよい。
楽し過ぎたら心配、それに気がつくならよい。
私は「たぶん、生きていてよいのだ」と思える人間に成ることができた。
「たぶん生きてもよいという自信」のようなものは
今後何かに姿を変えるのか、変えないのか。
今の私にとってはほとんどどうでも良い事柄だ。