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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

ホームポジションは自殺願望

私のホームポジションには「自殺願望」という文字がある。

過去形にしたいものの未だに完全に消しされたとは言い切れない。

小学校高学年の頃からだろうか、以前にも書いたような気がする。

ある時突如として世の中の何もかもが虚しく意味のないものにしか思えなくなったのだった。

その矛先が向かったのは自分自身の存在に対してだった。

「誰にでもそんな風に考えたりする時期はあるの。それが周りの子たちより少し早かったんだね。」

親や学校の先生はそう言った。

 

その頃から熱心に聴き込むバンドが1つあった。

彼らがいるから、彼らのライブに足を運びたいから生きていなければならない。

彼らの存在が生きるすべてだった。

彼らの楽曲が「生きろ」と云うから、私は生きていた。

そのバンドも解散するが、時を同じくして私には「演劇」があった。

勉学を疎かにして生きる全てを注ぎ込む部活動があった。

周りに相談することが出来ない人間は必ず挫折する。

これ以上「演劇」ができないと感じた時、「生きろ」と云ってくれる存在もないことに気がついた時、ホームポジションに戻り死のうとすることを選んだ。

連れて行かれた先の精神科医はいぶかしげだった。

「このくらいのことで自殺行為に及ぶとは到底思えない」

ごもっともな意見だ。しかしそれは本来心身ともに健康な人間んであれば、の話である。

 

少し早かった思春期はいつまでも終わらなかった。

生きていることに対する苛立ちは怒りを通り越して怨みとなり生みの親に向けられていた時期も長くある。

 

「どうして貴方がたの勝手な都合で私を産み落としたのですか」

 

怨んでも怨みきれない。死のうとすれば死ぬなという。何もかもが解せない。

そのうちに希死念慮といった言葉も覚える。

どちらかというと自殺願望よりも希死念慮を抱いているのだろうと気がつく。

いずれにせよ死ぬべきだという思考に支配されながら生き続けることは苦痛でしかない。

しかし私には苦楽を共にし感動を分かち合える友人たちがいた時期もあった。

それもまた、熱心に聴き込むようになった別のバンドを通して知り合った友人たちだった。

バイトも仕事も、ライブに行くためだけ。命を続けるためだけに続けた。

本来やりたかった仕事にもほんの少し携わることができた。

ホームポジションに戻るにはそのほんの少しの間で充分すぎたのだった。

閉鎖病棟常連者となり、躁鬱病と診断されるころには私の周りには本当の意味では誰もいなくなっていった。

閉鎖病棟にしか居場所はない、そう思って疑わなかった。

 

福祉施設には自力でたどり着き新たなコミュニティも築き始める。

するとどうやら、世の中の人々は常に死ぬことを考えているわけではないらしいことを知る。

いつ頃にどうやって気がついたのかはよく覚えていない。

自殺行為を繰り返すことが警察沙汰に繋がったり医療従事者を困らせたりしていることから「異常」なことであると徐々にわかってきたのかもしれない。

死ぬことを考えながら生きているわけではないのだとすれば、さぞラクだろうなと思ったことがある。

一体どれほどラクなのだろうか。

 

私は10代より以前からうつを発症していたのだろう。それをうつ状態と認識することなどできるわけがない。私の中ではごく当たり前の思考なのだから。

そこを無理やり生きなければならないと考えるとテンションを上げざるをえない。

それらが繰り返されて躁鬱病になっていた。これが現段階での私の仮説だ。

 

もしも「死にたい気持ち」を押し殺して生きている人が他にもいるのだとすれば、それは「正常」ではないということに気がついて受け入れることをしなければならない。

もっと早くに受け入れられていれば、友人を無くすこともそれほどなかったかもしれない。