単語のみで会話をすることは少ない。
文章にはおおむね脈絡がある。
たとえば私は無責任に発せられる「夢」だとか「愛」だとかいった単語が大嫌いだ。
ただしそこに裏付けとなる他の文章や脈絡があれば話は変わってくることがあるかもしれない。
日本人は日本語という極めて優柔不断で面倒な言語を扱う。
その言語の単語のみに着目しては会話や文章はほぼ成立しない。
同じ「C」という単語でも、Aが思う「C」とBが言う「C」は必ずしも同一ではない。
「C」にたどり着く行程や付随する経験、知識が誰しも異なるからだ。
日本人は数学が得意な傾向があるという話を聞いたことがある。
諸外国の数学の概念と比べて我が国における概念はシンプルなのだそうだ。
数値に重きを置いているべきではないと嘆いたところで、事物のすべてがうまくいく国家などなかなかあるものでもないだろう。
「趣がある」言語に「以心伝心」が存在するというのなら、その瞬間にその場から席を外して「パフェ」でも食べに行くことが得策だと思う。