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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

らくになりたい

本日の私の状態は悪くはない。

むしろ少々調子に乗っていて結果的に大事ではなかったがミスをしでかしたほどだ。

このくらいの状態をある程度保つことができたらどれだけラクかと想像する。

大層、らくである。

 

私が一般的な生活リズムを保つために、おそらく努力しなければならない事柄は山積みだ。

そのひとつひとつを実践していく必要がある。

それらを実践し続けることは私にとって大層、困難である。

根本的に状態が決して均一ではないからだ。

 

たとえば気分を上げたり、エネルギーを蓄えたりする可能性のある事柄として

「空を眺める」ことであったり、「友人と話す」こと、「散歩」、「温かい飲み物」など

他にも多くのリカバリー方法が挙げられる。

しかしながらこれらができる時、これらに気がつく時というのはある程度「健康」なのだ。

これらを実践することはおろか、思い出すことすらできない時があるから困る。

「温かい飲み物の湯を沸かす発想もない」状態だ。

「湯を沸かすこともできない時の私」が減っていけばおそらく現在よりはらくになると思っている。

 

主治医は「動けない時は無理して動く必要はない」という治療方針である。

事業所は「じゃあ、どうすれば動けるようになる」という支援方針である。

家族は「動けるなら、今ここにはいないだろう」という助言を投げかける。

 

私は最低限、自分が決めた日、決められた時間には動ける人間になりたいと切望している。

ただし望むだけでは現在の根本は変わらないことは理解している。理解はしている。

 

今より次、次よりその次の状態を予測することは私の場合ハッキリ言ってほぼ不可能だ。

傾向を見出すことすら、約3年半、たった3年半であるができていない。

それならば体に良いとされることは何でも実験し継続していくしかないのだ。

 

「らくになりたい」と望んでも実際のところ、世の中に自身の全てがラクだと感じている人間など、悟りでも開いていない限り滅多にいるわけもない。

求めるレベルの問題だ。

現在の私は現在の私がらくだと感じられるようになれればよいのだろう。

そうなれた時の私には必ずもっと重大な課題があり、それを克服するためにのたうちまわるのだ。

 

らくにはなれない。しかしその過程や想像を楽しむことは少しならできるかもしれない。