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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

できると思う時

少々、非現実的な案件が舞い込んだ。

就労移行へ通うことに虚しさを感じていた矢先の話で、大変魅力を感じた。

できないこともなさそうな事柄だと心底思っていた。

 

身近な周りの人間は口を揃えて「やめておいた方がよい」と言う。

そうなのかな、と思っても、現状から逃げたい気持ちは変わらない。

 

2日ばかりそのことを考えていた。

それは、明るい映画を流し見て涙が止まらない状態に陥るほど不健康にである。

(涙が出るときは本当はまだ比較的健康とも捉えられる)

 

アドラー心理学に触れたばかりだと言うことも手伝った。

自分の問題と他者の問題は切り離すと言う部分だ。

私が考えて最良の道を私が決めることが正義だと思っていた。

しかし、そうではない。

その理論が当てはまるのはあくまで「まっとうな状態」の人に限るのだろうということにようやく気がついた。

私はまっとうではない。

特に、「できる」と思い込んでしまう私は例外なくただの躁状態なのだ。

躁状態の時の決断ほど危険なものはない。

果てにはしばらくどこにも行かず何もしないで過ごせば良いのだろうかといった、

「0か100か思考」まで降臨してきていた。

気力がなく、何事にも興味が湧かなく、涙するほどに食欲も減退している、

側から見れば鬱の症状に見られるかもしれないが、私の脳は明らかに躁に転じている。

 

できると思ってはいけない。ただし過小評価しすぎることもよくはない。

この塩梅が私にはまだまだ難しすぎる。

どこにも行かないで過ごすことなども向かない。

くだらないと思える日常をこなすことすら出来ないのであれば、

何をするにしてもお話にならない。

 

ただ、それでもなんとなく実績を積みなんとなく履歴書を書いて

なんとなく会社に気に入られようとしてなんとなくその会社で過ごす未来に、

今の私は到底魅力を感じることができない。

 

いち早く小銭を稼ぎながら生き生きしたい、という先週頃からある

「現実逃避」に話が戻り、堂々巡りを繰り広げている。