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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

耐えられる人、耐えられない人

環境とは人が創り出すものであり、その人自身もまた環境の一部である。

 

なんとなく、あまり良くない出来事があった。

 

まったく冗談の範疇で、私は他者から「首を締めますよ」と言われた。それは物理的な意味でだ。

瞬時に冗談めいていると受け取ったが、それの前の私の発言があまりうまくはなかったことが気にかかる。

現段階で、私の「うまくない発言」に対して他者が苛立ったためそうした脅し文句になったのだろうと考えている。

それでも、脅し文句の次に「冗談でもそういうことは言ってはいけないと思います」と付け加えられなかったのかと思いを巡らせる。

 

私自身がひどく傷ついたといったニュアンスではない。

その人は、疲れていたのだ。

 

ただし社会はこういった断片的な発言を切り取って問題沙汰にすることが好きだと感じる。

あるいは純粋に傷ついたり驚いたりする人も少なくないかもしれない。

なんとなく、想像はできる。

 

実に久しぶりに攻撃的といえる言葉を向けられたものだ。

耐えられると表現すると大層なことのように思えるが、実際どうなのだろうか。

これが引き金で、毎日のように「(仕事ができないなら)死ね」とののしられていた職場環境を思い出した。

 

あの頃の私は、それに耐えることができなかった。

今の私は、ある程度なら開き直った上で耐えうる可能性がある。

 

こう考えられることは明らかに躁である裏付けとなってしまうのだろうか。