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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

昔のこと

可哀想な高校生

元来の私は大変な引っ込み思案だった。 人前で話すことは大の苦手。作文や感想など書けないし思い浮かびもしない。少しでも排他的なことを言われると言い返せずすぐに泣いてしまう。そんな自分を変えたくて高校入学後すぐ演劇部へ入部した。決まったセリフを…

絶望的な交友関係

昔の友人の夢を見た。 楽しい夢のなのか、そうではないのかいまいち分からない。 それでも彼女たちはいた。 彼女たちと交友を絶ってから5年ほど経つかもしれない。 7人ほどのグループで、もちろん個々に仲の良い者同士もいたかもしれないが、何かあると決…

くだらない事への陶酔

過去に囚われている時、ほとんど例外なく自殺願望を抱いてきた。 それはその時、こころに余裕がなく私自身が過去に囚われていることに気がついていないからだというヒントを貰うことができた。 気がつくことができるまで時間がかかるか、「気がつく」という…

久しぶりに強く不安定

3連休で眠りすぎている。 やや微熱があったため市販の漢方薬を買ってきて早めに飲んだ。 ここへ来て風邪をひいたのでは笑われる。 なんだか3〜4年前のことが思い起こされてひどく落ち込んでいる。 当時夜中になればいつでも線路にかかる陸橋へふらふらと…

堕胎と現実

2011年の秋に私は生涯初めて妊娠し、初めて堕胎手術(※)をした。 最初で最後にしたいと強く思っていた。 当時は量にして現在の3倍近くの精神科薬を飲んでおり、効能も強いものが多かった。 はじめに行った一般的な産婦人科では「こんなに薬を飲んでいる人を…

我が家には小型犬がいる。 もう6歳になる。 それまでペットとは無縁な生活を送っていた。 キッカケとなったのは、やはり私の躁的思考だった。 当時、周囲で「アニマルセラピー」という言葉がなんとなく流行っていた。 それは抑鬱状態との診断から自覚なく躁…

充実感を覚える時は躁

これは高校時代からの私を振り返っての持論だ。 演劇部でバリバリに目立ちたかった頃は私は演劇だけしていればいいという妄想を抱き「この高校に入って本当によかったと心から思っています」と恩師への年賀状に添えたことを覚えているし、 ヴィジュアル系の…

大切だった友人 EP2

彼女と出会ったのは私がハタチ前後の頃だ。 医学を志す勤勉な学生で、とても腰が低く、細かいことにもよく気がつき丁寧な人間関係を築くことができる人物であった。 本人曰く、感情が出にくいタイプと言っていた。しかし私にはじゅうぶん彼女が楽しそうなと…

謝罪の真意

謝罪することとは何なのか。 正直なところよくわからない。 なんとはなしに私の幼少期の頃のことを母親本人に聞くことができる会話の流れがあったため浮上した疑問である。 「いい子の人生」とは過去に記したものの、そのさらなる根本が私の記憶には皆無であ…

人間関係の玉砕

10代後半から20代前半にかけて親密であった友人たちのグループがいくつかある。 彼女たちとは共通の趣味で知り合った。 そもそもが同窓生に共通の友人がいたことが大きなきっかけであり、年齢が近いこともあいまって特別に約束などをせずとも実存の共有…

過ちを省みる

過去、途方もなくやることがなく、知人の勧めが切っ掛けでパチンコパチスロをしていたことがある。 ほどほどでもなく、依存の域に達していた。 これは書くまでもなく年金を使ってだ。 何年前までか思い出せないが、偶数月には毎日のように通っていた。 こう…

大切だった友人

友人が多かったか少なかったか、数だけでは分からない。 少なくとも私が誠実にお付き合いするのにはじゅうにぶんな数の人間と交流を持っていた。 現在よりはるかに多い。 中でも高校からの友人で、二十代中頃まで特に親しくしていただいていた女性がいた。 …

人生30年のすすめ

このところ学生の自殺の記事が多く目にとまる。 何とも表現し難い気分になる。 時代に応じて、その手段を変えて健在するいじめ。 どんなに対策をこうじようとも、それ自体を教育の現場から切り離すことは出来ないという考えのもとで働いているという中学教諭…

高校演劇への未練と自殺未遂

公立の中では進学校と呼ばれる高校に入学して間もなく、演劇部へ入部した。 当時の、人前に立つことが大の苦手で自分の発言がない私からすれば考えられない暴挙だった。 結果的に何も残さず2年の夏に退部することになったが、後悔だけが今でも残り続ける。 …

将来の夢「過労死」

1日欠けたものの、なんとなく毎日ブログを打ち込んできた。 3日ほど何も書かず、メモも取らず絵を描いて過ごし、なんとなくラクだった。 なんとなくだ。 入院中、日々、ノートに体調や考えたことをメモしていた。 その日によって文の質も量も異なる。 その…

三色の図工

小学校高学年の頃の担任の先生の話である。 彼は今の時代にして思うと完璧に近い過労教師であった。 児童1人1人と向き合う姿勢、授業内容の構成、課題の出し方、手書き学級広報の頻繁な発行、ご自身も学ぶということを忘れない観念、… 40人弱いたクラス…

人間の不良品

タイトルは中学2年の時に書いた、人権作文のものだ。 周囲はもっぱら「いじめ」を題材にする中、私はそれを選ばなかった。 髪を赤色に染め、たまに原動機付自転車で校外を走り回っていた1人の先輩のことを指して皆、隠れて「不良」と言うのだ。 学年が違え…