にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村

理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

メンタルの強さ

おおかた、自らの生き死にに関わらない苛立ちは無駄である。

インターネットを多用していた時代に交流のあったアカウント名などに関する無駄な記憶力を失くしたい。

なんとなく思い立つ時がある。

それらが健在であることに、ほんの少し腹が立つ。

だからといって生き死にに干渉することは近年ない。ないことにしたい。(つまり昔は腐るほどあった)

 

顔が見える交流において、自らの生き死に関わる苛立ちは極めて少ない。

 

ひとりでいるとき、苛立ちに翻弄されることがまた増えてきた。

 

最近のテーマはパラリンピック精神障害者が出られない理由である。

 

アスリートを特集した番組を見ると、「メンタルが強い」という表現が多々ある。

必ずひっかかる。

容易く「メンタルが弱い」という表現も出てくる。

それは…何だというのだ。

 

日本人は「メンタル」と「精神」の意味を使い分けているのだろうか。私は使い分けることができない。

仮に使い分けなくてもよいこととする。

次には「弱さの中の良さ」などという講義が始まる。

それには侮蔑の心得が隠されている。

 

なんだか躁状態のときに、精神障害があってもスポーツはできるということを世に知らしめたいと強く考えた。競歩で日本の代表的な大会に挑むというところまで構想は練られた。

その時の私は既にテレビ番組の特集に組まれ、誰かの作為によるヒロインと化している。

そしてこう言う。

 

精神障害者が世界を目指してはいけないのですか」

 

いわゆる宗教妄想の類であろう。

 

 

ひと個体には向き不向きがある。

たとえば人生とは、体力と精神と金銭を使うゲームなのだ。

そうしたとき精神とは、とりわけ芸術の分野に追随するのではないかと思わざるをえない実在の人物も多い。

そういった場面で発揮される「メンタルの強さ」はスポーツのそれに引けをとらないだろう。