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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

無視できない記憶

割と久し振りに、希死念慮の類を無視できない。

こういう時はただただ時が過ぎることをおとなしく待つのだ。

頓服薬に頼る。

 

切っ掛けはやはり読書、文化的事物に触れたことであった。

テーマを自らの記憶に当てはめてしまう。

そうすると、忌々しい記憶が鮮明によみがえり、脳内は話から脱線して私の歴史をたどることになる。

 

ひとつひとつは本当にくだらないものだ。

それらが束になって一気に襲ってくる、といった表現だろうか、なんとなく、無視することができない。

 

たとえば、病状の関係で疎遠になってしまったひとから、もう何年も借りたままのものがいくつか私の手元にあったりする。

それを返さなければと考える。

そのひとたちとの、私にとってはよくない記憶ばかり呼び起こされる。

そしてひととして、ものを借りて返さないことは最低であるという持論から、希死念慮、あるいは私を殺したい衝動につながる。 

呼吸が苦しく、暗い部屋で目を見開く。

文字通り、自分で自分の首を絞めていることが見える。

 

文書にするとなんともあっけない。

 

いくらかラクになったかもしれない。

返さなければならない品は、きっと、何らかの手段で返せばよいだけの話だ。

前にも記したが、過ちは去っているはずだ。

人命を奪うような重罪を犯したわけでもあるまい、現在苦悩する必要はない。

 

考え事がなくなることはない。

考える事は当然のことなのだから。

それらを当然にあるものとして認め、ほったらかすことが現在もっとも望ましい。

 

近頃は割とできていたことだ。