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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

虚しさと平凡

なんとなく、本当になんとなく、おそらく悟りの片鱗を想像するようになってからである。

私における全体的なものごとが虚しく感じるようになった。

 

ただし、過去にあったような失望感、倦怠感、強迫観念、希死念慮などとはまったく違う。

虚しい中で、前向きなのだ。

 

ああ、また考え事をしている、くだらないなぁ、そんなことより何か少しでも今を面白くしよう。と、したところでどうにもならないが、別にそれで構わない。

 

そんな発想になる。

「虚しい」という表現では厳密には誤りなのかもしれない。

 

先々について楽観視しているわけでもない。

つい先ほどまで、明日、肉親が亡くなるのではないかと考えていた。

ああ、いつ死ぬかの問題だな、とただ思った。

実際に今そうしたら私はどう行動しよう、などと比較的冷静に想像する。

想像したところで、この想像は無駄であるなぁなどと考えを放置する。

 

軽い躁状態といった表現が相応しいような気がしてきた。

ただし、躁状態にしてはものごとが楽しくはない。

やはり虚しい要素の方が強い。

 

これはどうしたことか。

 

よく分からないが、これはこれでこのままにしておけばよいと思うことで終わる。

 

前回記事を書いた頃より先に特別、悟りについて学んだわけでもないし、悟りたいと考えるわけでもない。

思考はただ勝手に流れている。

真冬に身体が割と動かせることも珍しい。

 

私にとっては新しい冬である。