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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

死を恐れるのは人間だけ

仮に、ひとには感情があるから死を恐れるのだとする。

そのため古くから人々は、故人にはせめて死んだ後にはよい思いをしてもらいたい、本人が、死んだ後にはラクに存在したいと望むのだ。しかも永久という恐ろしい年月を。

 

それらはすべて妄想に過ぎない。

 

 

反して、本能が死を恐れるという考えがある。

人類となる頃より以前から、生物は突如として不平等におとずれる「死」を野生的に恐れてきたらしい。

しかしそれは長続きしない。

すぐさま偶像を崇拝したりする感情に踊らされ始める。

 

現代の生物にはどちらが当てはまりやすいのだろうか。

 

私はどちらかというなら、本能が死を恐れるのだと考えてきた。

 

たとえば突如、天災にみまわれ、隣人が命を落とそうとしていたとしても自らの必死の命をかけてまで助けるひとはどのくらいあるのか。

 

 

 進化の過程で、順序をたどってしまったのだというところに落ち着く。

もしくは視点が異なるだけで、内容は同じだ。

本能だけで生きていた人類が感情や精神を重んじるようになり、偶像崇拝、極楽浄土などの道が定着していった。

 

歴史の教科書の簡略版に過ぎない。

 

問題はどちらの視点に重きを置くかだ。

 

感情がなければ死を恐れない。これは私にとっては圧倒的に魅力的な悟りの片鱗だ。

 

魅力的、などと欲を表す時点で感情的であるというオチになるだろう。

どことなく質素に見えて、その内は大層豊かな「無心」というものを操作できるようになりたいと、欲を持ち始めた。