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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

死別

親族が他界した。

母には兄弟が多く、その分おそらく、私は同世代の者より現時点で多く近親者の告別式に立ち会っているのではないかと思う。

立て続けになることも少なくなく、それの一番はじめは実父だった。

 

たまたまである。

近頃私は死ぬ意志を誰かに打ち明けたくて仕方がなかった。

ノートには「死ね」「死にたい」などの文字が書きなぐってある。

ただひとつ、もう半月で終わる今年を入院のない年にしたいというギリギリの意地で誰にも言わずにいた。

 

まずはじめに、代わってさし上げられたらと切望した。

 

その次に、しばらくしてから故人に対するさまざまな思いが巡ってきた。

 

そして現在、気が張っていると書けば聞こえはよいかもしれないが、妙なハイテンションだと自覚している。

 

身内が亡くなる度に、私の、たとえば心や精神は18歳の冬で止まったのではないかと明確に錯覚する。

知識や思考はいくらか身についてきた。

葬儀の相談等も慣れはしないが意見を出せる立場になり、不測に備えてゆったりと構えることができる(それは慣れなのか…)。

 

父親が他界した時のことは昨日のこと、つい、たった今のことかのように覚えている。

 

5限は私が好きな美術の授業だった。

製作に少々手間取り、片付けが遅くなった。どうしても思い通りになるところまでデッサンを仕上げておきたかった。

帰り道、いつものコンビニで飲み物と菓子を買い、駅前のベンチで一服していた。

 

雲ひとつない真っ青な空だった。

 

美術の片付けが長引くことはよくあることで、寄り道をすることは日常だから気にしない。

 

 

自宅に着くと母親と入れ違いになる。

病院から連絡だという。パートを早退してきたらしい。私にも来るようにと残して母親は大急ぎで病院へ向かった。

 

私は、父親の元へは見舞いにすらほとんど出向いていなかった。

病床の父親が言ったのだ。もう来るなと。

たった一度だったのかもしれない。わからない。その言葉はお前の顔は見たくないと、誇大されていた。

 

久しぶりの病棟で、病室も分からない親不孝者ぶりである。

たまたま通ったドアの閉まった病室から母親の叫び声が聞こえた。

動けなくなった。

 

 

 

 

私は父親の死に縛られている。

故人を偲ぶべきであろうところ、なぜ、こんなにも鮮明に父親の最期の日を思い出しているのだろうか。

 

あの頃からだいぶ経つ。

命日は来月であり、また誰かを連れて行くのではないかと、誰にも言えず、心から怯え、憎んでいる。