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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

趣味を持つことと金勘定

堂々と新しい趣味を持ちたい。

ただしそこに金銭は発生してはならない。

 

このことが堂々巡りしている。

 

切っ掛けは携帯電話料金の見直しと年単位での料金計算だった。

 

 

春先から密かに、底値に近いデジタルカメラが欲しいと考え始めていた。

「趣味:写真」というものに憧れを持つ。

衝動的になっては無理やり抑えつけ、また買いたくなっては金銭の計算をして非現実的なものだと思い込ませようとしてきた。

 

数年前ならばためらうことなく、あるいは衝動的に購入していたと思う。

近頃はたとえば360円の化粧品(消耗品であるはずなのに使用頻度が少ないため何年も保つ類)1つを買うことにも躊躇する。

 

なんと極端なことだろうか。

 

そもそも何故、趣味に金銭が発生してはならないのか。

 

せっかく趣味になったとしても周囲に隠さなければならないからだ。

それでは嫌だ。堂々と趣味を披露し、うまくすれば共有したい。

 

最低限文化的な生活がなんたるか、年金生活の身で省みることが多すぎるのではないか、趣味は文化とは異なるのか、様々な設問が次々と浮かぶ

 

きょうび携帯電話くらいは持っていないと何かと不便である。自宅に固定電話もない。

そのためこれは文化的な生活に必要なものと判断する。

パソコンは貰い物で、テレビやゲーム機能などはなくて構わない。

これからの時期、暖房器具はできれば壊れないであってもらいたい。

電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、照明器具、寝具、衣服、不足はない。

 

追いかけていくと、結局また、これなのだ。

 

 

「全国民の7割以上が所有している物とは何か」

 

 

 

最新のスマートフォンはカメラ機能が優れており、私が欲しかった、いわゆるコンパクトデジタルカメラの性能と素人目には遜色ないのだというではないか。

 

しかし果たして、私の現在の性格と身分に対して最新のスマートフォンが必要であるのか。

 

はっきりと、必要ではない。

 

つまりはっきりと、新たな趣味を堂々と持つことができない。

 

比較的深刻に落ち込んでいる。