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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

継続は力なり

高校時代から長きに渡りお世話になったバイト先の店長の好きな言葉だ。

彼は今お元気にしてらっしゃるのか、ふと気になる時がある。

当時からうつ傾向があった私(厳密には躁鬱と思われる。躁の時の私が周りに映る私だった)のことを受け入れてくださる寛大な方であった。

 

私が精神科に入院したことなども風の噂で彼の耳には届いたようで、それを知った上で再び働く機会をくださったこともある。

恩は返せていない。

 

彼は大変話好きな人で知識も広くあった。

終業後にバックヤードで世間話をすることは日常で、彼の話から学んだことはたくさんある。

どのスタッフとも気さくに話してらっしゃり、当時のバイト仲間とは未だに交流があることは彼の人徳のお陰といっても過言ではない。

 

その中でも、よく若い学生たちに「継続は力なり」という言葉を諭していた。

彼は学生時代、野球部だったらしい。

毎日練習を積み重ねること、毎日業務をこなすことの大切さを教えてくださった。

 

その言葉をよくよく思い起こす。

何事も継続しなければ意味を持ってはくれないとは、そこから派生した私の意思だ。

あの頃は継続できた。

何故、今は、この何年もはできないのだろう。

できなくなってしまったのだろう。

あの頃の私に継続は当たり前だった。

何故、今は当たり前ができないのだろう。

あまりに不甲斐ない。

 

関連して、私自身の運動部時代のことも思い出す。

練習は盆正月を除いて毎日あった。

校内でもっともハードな部活動で、運動に不向きな私がどうして引退時期まで継続できたのか不思議でならない。

能力はなく、後輩より背番号は後だった。しかし毎日続けた。それが当たり前だった。

 

ある時の公式戦にて、私と同じポジションのスターティングメンバーが足を故障させてしまい出場できないという時があった。

誰が代わりに出るのか、私より能力が高い他のポジションの部員はいくらでもおり、皆が皆、練習の中で各ポジションの動きは完璧に把握していた。

それにも関わらず、顧問は私をスターティングメンバーに選んだのだ。

はなから私が出るわけがないと一番思っていたのは私以外他ならなかっただろう。

その判断に対して文句を言う部員もいなければ、後々いやがらせを受けることも一切なかった。

 

その試合でどう動いたか、勝敗すら記憶にない。

 

ただ、継続を認められたのだろうという事実だけが根強く残っている。

 

あの頃の私は、何処へ消滅したのだろうか。