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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

身体はウツ、思考は軽躁

日に日に動くことが億劫になってきている。

軽い(?)躁が何ヶ月も続いたことから、軽いウツ(?)が何ヶ月か続くことが予測される。

 

10分ほどの運動がつらい、ものごとに興味がまるでわかない、気力がない、座っていることにも疲れる、笑うことをしない、思考にもやがかかったように発言が鈍く、文章がまとまらない。

そして私の場合、風呂に入ることが1つの目安になることが多い。

風呂に入ることが出来ない、もしくは果てしなく億劫である場合、ウツ傾向なのかもしれないと思わざるをえない。

過去、何週間も風呂に入らなかったことはザラにある。

 

 

不意に強く思う。

これだから精神の病気を持っているモノは使えないのだ。

 

惰眠を貪り、水や大気を汚し、食い散らかすために年金を使い、生産性などまるでない。

人間ではない、人間であるはずがない、非人と扱ってほしい。そんな意思を伝える権利すらない。

邪魔だろう、存在しなければまだマシだろう、死のうか、死んでみせようか、どこぞにあるだろう、精神障害者を侮蔑する組織が。集まりが。そこに入り込んで派手に死んでやる。

 

何故か突如として喧嘩腰な考え方になる。

しかし今はその衝動もわかない。

 

どうして躁状態よりも鬱状態に対して周りが甘んじるのか、とてつもなく不思議でならない。

躁の方が危険だと思う。認知度の問題だろうか。

鬱状態では死ぬことも億劫というのが私の中での定説だ。

 

躁を抑えることよりウツで動けない方がマシだとは未だに考えるが、動かないなりに考えが次々浮かんでは消えていく。それらは具体的に発信できるものではないものの、何かと疲れされられるものだ。

 

なんだか、きっとこの半年ばかり、夢でも見ていたのだろうと思えてくる。