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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

精神障害はツライのか

私個人としては、つらくないと思い込もうとしている。

ツライ人は本当にツライのだろうと思う。その方々を否定するわけではないことをはじめに断定する。

ただ、私はつらくない。

 

身体が痛むわけではない、物を食べられないわけではない、常時、呼吸が困難なわけではない。

 

何も不自由はない。

 

では、県から交付されている精神障害者保健福祉手帳は何のために存在するのか。

 

身分証明のためだ。ちょうど、返納させられた運転免許証の代わりだ。

 

私はどうかしていることは私がなんとなく把握している。なんとなくだ。

本当に困る時はこの先いくらでもおとずれる。

今がつらいのだとすれば、この先やっていけない。

どうかしている(気が触れている)とは、いくらか客観的な表現だ。
つらさとは、割と主観的になる。

 

どうやら不安定な状態が続いている。

主観が客観を求めすぎて不安定なのかもしれない。

どれだけあがこうとも、主観から客観視することなど到底不可能である。

早くに諦めて主観に正直に沿うことができれば、どれくらいのツラさがあるのか分かるのかもしれない。ただし私の主観がそれを望まない。

 

どのように不安定なのか。

声をあげて泣いては叫び、大声で笑っては泣き、しばらく黙り込んではまた涙を流すことを繰り返している。

つまり不安定な状態が継続し安定している。

程度がどうあれ、どんな人にもあることだと思う。

それをいちいち騒ぎ立てることなどくだらない。

私の感情論など取るに足りない。

 

厳密に表現するなら、「精神的につらい」という状態がどういう状態なのか分かりかねる。

数値化できればいい。自己申告ではなく誰もが客観視できる数値に。

この人は、このくらいつらいんだ、私はこの程度しかつらくない、といったことが分かるようになれば誤解も偏見も減っていくだろう。

痛みを数値化する技術が使われるようになってきたことを何年も前に聞いたことがある。

 

人工知能にはテレビをつけさせたり退屈しのぎの会話をさせている場合ではない。

私がどれほどつらくないのかを客観的に証明してみせていただきたいものだ。