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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

妄想正論を崩せ

何らかの作業をすることには偏った集中力が必要だ。

それは家事、趣味、仕事など、人それぞれである。

 

私の場合、就業時代にやっていたことが趣味として残っている。

普段は特別にその作業に勤しむことはない。

その手段を使って具体的な何かに取り組みたい時、恐ろしく時間の管理ができなくなる。

近頃は疲労感というものを身につけるようになったためまだましかもしれないが、提示されたスケジュールなど構いはしない、一刻も早く納得いく結果を得たくなる。

就業時代にはそれが身体に危険を及ぼすことを理解すらしていなかった。

現段階、このままではよくないと考えられるようにはなっている。しかし考えたところで休息するということを実行に移すことができないのではあまり意味がない。

 

冒険家や登山家などで、九死に一生を経て全快した後、探索を続ける方々が少なくない。

ちょうど、それらと似ているのではないかなどと陶酔することが過去にしばしばあった。

私は先々、できれば自らの過去の業種に就きたいと考えることがある。一から学び直し、再就職すれば今度こそうまくいくと強く思い込んでしまう。

 

そんな考えを巡らせると眠れなくなる。

あまりにも未熟な社会経験が相応以上の妄想となってのしかかる。

その社会経験がなければ精神の病気は発症しなかったかもしれない、この業種は私には危険であるという根本にたどり着く。

しかし思考は躁状態であるため、何事も私にとって都合のよいようにとらえる。つまり、その業種の社会経験が病気の早期発見に繋がったのだと正当化し始めるのだ。

 

一般に躁鬱病のひとは就業が長く継続できないことが多いと聞く。私はまるで典型である。

 

休息と発散のバランスをほどよく取らなければならないと切望する。

そして間違っていると思えるようになってきた自らの正論を粉砕したい。