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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

真夜中の殺意

中途覚醒してから2時間近く寝付けない。

しばしばあることだ。

2時間は割と長い。つい、携帯に手を伸ばしてしまった。スマホ依存とも呼ぶべきだろうか。

 

夜の考え事は良くないとされる。

分かっているものの、考えようとしなくても考えはさまよい続けるものだ。

この考えに支配されなくなることが私の中での目指すひとつの治癒である。

 

今夜はとても犯罪的な考えがさまよっている。

ある特定の個人に対する深い憎悪から殺意が芽生えた。大声で「死ね」と叫び、暴れ散らしたいくらいだ。

昨年ならば何もかも気にせず実際に大声を上げていたことだと思う。

今夜はその辺りは抑えられるレベルにとどまる。

死んで(消えて)いただきたいものは実はその個人の実体ではない。私の思考の中にある個人の記憶なのだと最近は把握する。

 

他者を嫌悪することにはエネルギーが必要になる。

どうでもよいと思えるようになることが一番だ。

好意を持ってエネルギーを使うならまだしも、憎悪でエネルギーを使うことははなはだ愚かだ。好意が度を超えると憎悪に変わることもあることから、この反する単語は表裏一体であるとも呼べる。

 

六法全書の内容など知識として皆無に近い。

ただし、ひとがひとを殺めたときにはそこにどんな同情すべき理由があれ、その罪をつぐなわなければならないことははっきりと理解しているつもりだ。

精神鑑定という言葉はよく聞くが、それは私には当てはまらない。

やってはいけないことだと理解した上で遂行することは完全に罪であることを、私は理解している。

 

それでもなお、ある特定の個人を物理的に派手に傷つけ死にいたらしめたいと考える。

その考えは具体的な段取りにまでおよんでいる。

 

まったく、無駄なことだ。

 

それの存在に支配などはされない。

そう考えること自体が支配されていることになるのだと真に理解する瞬間がおとずれることを待つ。