にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ

理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

東京大会崩壊妄想

平和の祭典に深い興味はない。

何とはなしに視聴していたリオデジャネイロでの体操競技で鳥肌が立ったことが生涯初めてである。

 

誰もが知る2020年の東京大会について、かねてより疑問、あるいは不安を抱いていた。

 

はじめに浮かんだことは首都直下型地震だ。

開催地が日本に決まった頃から、2020年までの間に確実に起こるのではないかと強く思い込んでいた。

発生から6年以上が経つ東日本大地震の復興の陰ではまだまだ血がにじむどころか吹き出しているのではないかと考える。

復興五輪などという言葉は皮肉なほどに文字だけである。

復興のことのみに焦点を当てずとも、チープなコメンテーターたちですら東京大会の弊害についてさらりと意見し合っている場面は何度も聞き流した。

 

次には戦火による順延(という言葉で合っているのだろうか)あるいは中止が浮かぶ

ここ半年ほどで、世界情勢の何たるかを把握しているわけでもない私ですら危機を覚えるほどに情勢は乱れきっている。

この状態が鎮静することはしばらくないだろう。

人類とは学習能力が極めて低い下等な生物であることは歴史の教科書から汲み取ったような気がする。

血を流した尊い意志が少なくなれば、それらは怠惰した大衆の意思にあっけなく流されてしまう。

 

東京大会より先に大震災か世界大戦が起こる。

 

そういった「妄想」を強く抱く。

 

これを発信したとき、「どちらもあり得ない」と即答する人間が最も身近にあることが私の危機管理めいたものを剥奪する。

剥奪されれば妄想は平和な想像になり下がる。

 

そもそも、オリンピックという表現を昔から毛嫌いしている傾向もある。

パラリンピックと大会そのものを分けられる理由が私の中では見当たらない。

歴史を学べばあっさり納得するほどの大義があるのだろう。あって欲しい。

しかしその調査もせず、正確にはする意欲もわかず、反旗をひるがえす気も起きない。

 

私にとって外部からの情報や文化はほとんどが有害であるという分析はある程度できている。

平和な想像のためにはさらに細かな分析を進め、有害ではない情報の選択をできるようにならなければならない。

ごくわずかであることは目に見えているが、これができなければ平和な想像=社会進出など到底困難である。