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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

言葉を選ぶということ

精神科にかかっている人たちの集まりでは、雑談の中でも適切な言葉選びが必要である場合が多いと思う。

様々な境遇の方がいらっしゃり、これは精神科に限ることではないが互いにそれぞれの全てを語るわけではないため決断が難しい。

断片的な情報から憶測することがここでは特にあってはならないような気がする。

精神科に、と取り立てて考えること自体が失礼なような気もしてくるが、多分に私にも気を遣われている雰囲気を察する。

連絡先の交換は禁止こそされていないが、誰ともしていない。(禁止されている場所もあると聞いた)

 

デリケートな話題になると私にはほぼ語彙がない。

どこまで聞いてよいものかも分からないし、聞いたところで対処法を持つほどの知識はない。

表現がそれこそよくないが、人によっては一方的に病状などを語られることもある。

特にそんな時、特定の人に対し失礼なことを言ってしまったのではないかとひどく不安になることがある。

利用者の中では若い部類に入るものの、私自身いい歳なのだからと情けなくもなるし、そもそもが年齢でことを片付けられる歳でもない。

もしかしたら軽躁も徐々にか、一時的に治まってきているのかもしれない。
なにせ私の場合病状は分刻み、秒刻みで変わる。

大まかな波はある中、少しずつ、テンショングラフは下がってきているような気もする。

このウェブログには比較的好き勝手書いているが、外に出れば私はただの小心者だ。

 

結果的に見つからなくとも、適切な言葉を探すこと自体はおそらく大切である。

それは時間を要するからだ。

その時間に、何らかのことを汲み取れるかもしれない。

反射的、あるいは突発的な言葉の事故が昔に比べれば減ってはきていると、気持ちを落ち着かせるしかない。