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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

友人と夏休み最終日

実に4ヶ月ぶりに電車に乗った。

たまたま連休最終日になっただけで、今日は前々から友人と会う約束をしていた。

駅には人気アニメのスタンプラリーの看板などが設置されていて、夏休みなのだなぁとなんとなく感じた。

地元の駅から30分ほどで県外に出る。

満員電車でもなければ、比較的落ち着いていられる。

通勤電車など、今では想像もしたくはない。

いつか、利用する日が来れば幸いなのかとぼんやり考える。

 

友人のことを書く。

彼女は長年、鬱病パニック障害に悩まされている。

出会ってかれこれ10年以上経つが、たまに長電話をしてはお互いの病状や悩みを訴え合うことができる唯一の存在である。

彼女は私が見るに、とても辛抱強い。

話を聞くと、たとえば私だったらと想像するなら「キレて」いそうな事柄を度々耐え忍ぶ。

そして後々になって内向的に爆発することが多い。

そういった性分もあってか、出会った当初から何年かはあまり親密ではなかった。

何らかの拍子に彼女のことをひどく怒らせてしまうのではないかと怖かったのだ。

これは「鬱病」というものに対して私が理解を持っていなかったことを表している。

10年以上前の「対、鬱病マニュアル」など到底適切ではない。

私も今でいう抑鬱状態におちいることがしばしばあり、そのことを「鬱状態」と受け入れることもせず、うまく周りに打ち明けられずに長い年月を過ごしていた。

そんな時に頼りにできたのは対人関係に奥手な彼女だけだった。

 

彼女と会って話をすると、それはとても楽しい時間になる。

ここ数年の彼女の、おそらく症状のひとつであるが、ひどく時間を見誤ることがある。

今日も例に漏れない。この文書も彼女のことを待ちながら入力している。

何度も連絡を入れてくれるので心配はしていないが、文面から察するに当人には罪悪感しかないだろう。

しかし私は、彼女のことを待つ時間がかなり好きだったりする。

うまい表現が見当たらなくも、楽しみを大切にとって置いている貴重な時間のように感じる。

今日は改めて、正確には初めて、彼女から貰う時間が嬉しいということを伝えてみようと思う。