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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

命の価格

今日はなんだか元気ではない。

身体が気だるく、とてもユウウツである。

それを迎え火行事などのせいにする私はどこか宗教じみている。

神仏や霊魂など、到底信じない。

私がとても困った時に、そういったものの因果を感じたことがないためだ。

生存しているという事実のみから、護られているという発想をしなければならないのかもしれない。

しかしそのために必要な理屈はなさすぎる。

逆に、たとえば死んで差し上げたら神仏はお喜びになるのだろうか。

「生贄」という文化は衰退してきたが現存するだろう。

こんな事柄を入力している時点で到底ばかげている。

 

私が死んでも代わりはいくらでもあるのだ。

そんなことは常に思い続けている。

それは私に限った話ではない。

どれだけの著名人であろうと、いつかは姿を消す。

その後釜など、驚くほどたやすく誕生するものだ。

今は半ば騙された感覚のある金の問題で苛立っているのにも関わらずひどくユウウツで、臓器代などを含めたとした場合の命の値段にしてはおそらく安いと思われる額に対し、命を投げ出すくらいのことができそうな錯覚におちいっている。

人間の身体を「物体のみ」とした場合の値段は1体3000円ほどであるらしい。

これは小学校の道徳の授業で聞いた話だ。

課題は命に値段をつけることができるか、といった内容だったが、私には生物の価格の方が衝撃的であった。

 

 

私が死んでも代わりはいくらでもある。

 

この1文を声に出して言った時、命の価格が分かったようになったこともあった。

今はあまり見えてこない。

それくらいユウウツである。