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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

強迫観念とストレス

強迫症を受け入れた方がよいと第三者に勧められた。

大変嬉しく思い、実行していきたいと考えた。

 

本日は4週に一度の通院だった。

睡眠を良質にするために薬の調整をしたいことと、希死念慮のことを診察にて話した。

私が通う病院では本人、あるいは親族の診察がなければ精神薬を処方していただくことができない。

時間はかかるが安全である。

 

現在の私が軽躁と診断されるため、睡眠には時間を割かなくともある程度の活動が可能であり、長時間睡眠を求める方が難しいという話を頂戴した。

軽躁の自覚はあるが、実は忘れかけていた。

極度の躁状態であると、眠らなくても食べなくても信じがたいほどに動けるのだ。

診察では伏せた、と表現するより言い忘れたものの、ここ1週間ほど、偏食がちである。

少しでも注意しながら生活しなければならないだろう。

また、B型支援へ積極的に通っている旨を伝えたため、現段階で薬の副作用を利用して身体に気だるさを与えることは酷であると主治医は考慮してくださった。

規則的に活動しているという点では、過去約7年の私の状態に合致するパターンはない。

結果、睡眠時の頓服薬で自ら様子をはかるようにということとなった。

 

希死念慮とは、私の場合なのだろうか、強迫観念、強迫性症状、強迫症のひとつであるとこの度断言された。

それを実地的に改善させる治療法もあるが、成功例はなかなかないとのこと。

思考が希死念慮を通過したりされたりしている時が、ある種のストレス発散になっているといえるらしい。

これを抑えると、発散されないストレスにより別の症状が現れることが大いに予測され、そちらの方が体質に合わない可能性が高い。

私の場合、「こだわりが強くなる」のだそうだ。

あながち間違いではないような気がした。

 

受け入れ、耐えることが発散になる。

矛盾しているようにも思えるが、「死ぬ想像をする自分の想像を抑える必要はない」ことの理解に初めて近づけたような気がした。

 

主治医がみれば、どう装おうと私は「躁鬱の人」である。

今後、物理的に動けなくなる時はまた来るという注意をなくすことはできない。

しかし今の状態であれば、最低限必要な危機管理として素直に受け入れることができる。