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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

美化される尊重

元気がない方がマシなのかと錯覚する作業時間であった。

少なくとも、元気があると無意識に遣わなくてもよい場所で気を遣っているのだということに気がついた。

元気がある状態と元気がない状態が一般より極端かもしれない。

以前に比べれば、格差は穏やかになったと自覚している。果たしてどれだけ元気があったのだろうか。どれだけ元気がなかったのだろうか。

忘れてはならない。

過去にも記したものの、

自分が思うほど、自分には存在感も価値もないのだ。

 

昨晩、NHKの「バリバラ」という障害者を大袈裟に尊重するバラエティー番組を見た。

(ただしこの形容は相応しくない。私の主観である)

番組は作業所の人の勧めで知り、何度か視聴している。

この時代に先端をいく番組をNHKが作っているという点に喜びを覚えつつ、番組自体長いのだろうか、何処か違和感もある。

何に違和感があるのか、だいぶ考えた。

おそらく、芸能人たちの浅はかと思える発言である。

進行上、コメンテーターのような立場に「知名度」のある「健常者」がなければならないのはわかる、どうもそこが大袈裟に思えるのだ。

昨晩はたまたま精神医療について取り上げられていたので興味深かった。

しかしより認知度を上げるためには、ニュース番組の特集などで毎日取り上げればよいのではなだろうかと考えた。

私はどこまでも偏屈だ。

 

似たような類で、年に一度の障害者を美化する大型番組が間近に迫っている。

この形容も相応しくないかもしれないことは承知だ。

いまいち、好きになれない。

 

大袈裟なのは私自身だけかもしれないとも気がついた。

経済成長の弊害により差別を作り、計り知れない差別を受けて生きながらえた方々の笑顔ほど美しいものはない。

現代はそういった意味で本当に、本当に差別などないに等しい。

それなのに何故、生きるべきではないなどと日常的に愚痴をこぼせるのか。

 

元来、人間の思考など「まっとう」ではない。

矛盾が生じることは「まっとう」である。

相対的な思考負担が同じであるなどという表現はあまりに現実離れしている。

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