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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

音楽と人と精神障害

音楽家を志す友人がいた。

彼らとは二十歳前からの付き合いだった。

間も無く私はグラフィックデザインの専門学校へ通い始め、何かと、彼らをデビューさせる構想を勝手に練っては作品などと呼べない陳腐な広告を作り、単位を取得させていただいていた。

その延長で実際に彼らのロゴシンボル、CDジャケット、チラシ、グッズなどのデータ作りを断続的に手伝うことになった。

デザインを担っていたわけではない。

こうして欲しいと言われるがままにデータを配置し、業者とやりとりをしていただけである。

平均すれば大掛かりなものが年に2件くらいだったろうか、しかしそれは約10年続いた。

 

あちらは音楽に人生を捧げている。断言できるが、頼まれた時には生半可なことをしたつもりはない。

 

彼らの中には私の体調の変調を受け入れ難く感じる節が強い人物もいることはわかっていた。

それがあってか、彼らとしては私との交流をビジネス扱いにしたがっている雰囲気は感じ取れた。

しかし私が、「友人」との間での金銭の貸し借りが苦手であることを通したため、報酬は出来上がった製品を無料で頂戴することと約束していた。

そしてたまに、食事やタバコをご馳走になることがあった。

とても、楽しい時だった。

 

最後となった依頼は、彼らの10曲前後を収録したアルバムジャケットの作成だった。

それより少し前から、「給金」を渡すと言われては何もないことが続いていたため冗談なのだと思い込んでいた。

しかしこのジャケットが完成に近づく頃、初めて、袋に丁寧にしまわれた金銭を頂戴した。

折り目のない一万円札が二枚あった。

しかもそれは、もはやいつのものだか思い出せない分の前金だと言うのだ。

私にとっては非現実的な大金であった。

 

そこから関係は狂ったように感じた。

デザイン事務所に在籍していた頃の異常な緊張感に包まれ、気分は安定しない。

不安定な私にとっては過酷と思えるスケジュールで依頼が重なる。

何が理不尽か、何より社会適応力のない自分を呪い、大声で笑いながら、心臓に負担のかかる薬を大量に飲んだことを鮮明に覚えている。その後強制入院となった。

 

何も成していないことと、それまで以上に迷惑をかけたくないことから、二枚の金銭は袋に綺麗に戻し、一筆添えることもなく書留で送り返した。

それを受け取った、私の病状に唯一理解的であった彼は何を感じたことだろう。

以来、一切の連絡は途絶えた。

 

もし、彼らの音楽がどこかの店頭で流れるような日が来たとしたら、

もし、彼らの音楽が大衆に受け入れられ、彼らが心の底から笑える日が来ていたとしたら、

私は、何を感じるのだろう。