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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

読書による躁転

幼少期より、読書の習慣はなかった。

小中高と、文章を読むこと、本を読むことにはかなりの苦痛を強いられた。

(ただし高校時代、部活動での台本の読み込みは熱心に取り組んだ)

 

その辺りが関係してくるのかは分からない。

しかし成人してから書を取ると、かなり極端になってしまう。

たとえば気に入った小説作品などは、一度読めば細かな内容から登場人物の印象的な台詞まで、一通り覚えてしまうことがある。

たとえば詩集を手にすると、3ページも読まないうちに自分が詩を書きたくなってしまう。実際に書いたこともある。

たとえば完結している漫画作品を読むと、不必要なまでにのめり込み洗脳されてしまうことが多い。

趣味が偏っているため毒々しい世界観のものが多く、それを考案、構築する作者が現実に存在するということが怖くなったりもする。

 

昔は活字そのものが苦手であった。今はそうでもない。

入院生活における新聞の存在はとてもありがたいものであった。

ただ、読書という行為はおおかた躁に転じる切っ掛けを作る。

できる範囲で冷静に考えれば、私にとっては有害な行為であると思われる。

 

それでも活字を読みたいとしばしば考える。

新聞や「哲学書」であれば、たいてい無害であるというところに辿り着いている。

そういったところから、哲学を志すことも選択肢としてアリなのではないかと想像が膨らむ。

結局、有害な気がしてくる。

医学的な因果はまったくないだろう、しかし私にとっては読書そのものが危険であると認知せざるをえない。

そのため世界観、価値観、思想はなかなか広がらない。