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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

訓練等給付費

忘れていたわけではないが、忘れてはならないことがある。

我々が社会との繋がりを持つ、持ち始めることは、一種の福祉「サービス」であるということ。

つまり、これを読む可能性のある一般的に労働している方々が一生懸命稼いだ金銭から、何故、引かれるのかも分からない税金諸々によって私は存在価値を見出している。見出そうとしている。

もっと建設的な使い道などは安易に想像できる。

文書で突き付けられると改めて実感が湧く。

私に社会的存在価値はない。

むしろ存在しない方が社会のためである。

この信念をどのように捻じ曲げて継続していくのか。

今の私にとってはほとんど、残酷なことだ。

 

 

<追記>

始め「我々」と表記し、次より「私」となっている点が「特別的な差別」である。

排他しながら自己だけを特別扱いしている自覚がある。

今日夕方からだけでも割と考え過ぎた。

サービスの利用を続けるべきか否かまではとうに辿り着いた。

私は不必要なほどに社会を欲していた。

しかし私にとって社会は必要だったのか。

もっと内向的な、しかし実践的な生活力を身につけることで足りるのではなかろうか。

考えを誰かに宛てたところで、決断するのは自分である。

1つの「気付き」として記すしかない。

夜、ちょっとした買い出しに外へ出た。

遮断機の音はやたら近くに聞こえた。