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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

人格肯定

性格、人格を不特定多数の人間に認めてもらいたいと強く思った。

今の私はおそらく躁状態に近く、しかし誇大妄想もない。

非人道的なことを考えるわけでもない。

「なんとなく元気で楽しい人(ただし少し抜けている)」であるだけのような気がする。

正直なところほぼ、理想的な人格にあたる。

これは、過大評価なのだろうか。

割と長い事、病気と診断されたままであると分からない上、どちらかにするならば消極的にとらえがちである。

第三者から評価されることこそが、この世において最も重要な生きがいに繋がるのだと思う。

自分は自分だと貫いたところで、その裏では他者の賛同や協力、賞賛がなければ事は成せない。

その求める規模が大きいとされるか小さいとされるか、これもまた他人が主観で決めるものだ。

私の求める規模、「性格を認められい」とは、たとえば思春期の少年少女が抱くもののように小さいのではないかと思う。

ここもさらに謙虚になるべきなのだろうか。

 

何もしなくても年月は流れ、年齢は重なる。

重なる毎に、一般的にその規模は大きくなり、基盤となる小さい規模の塊を見失いがちになるのだろう。

 

私は、実は、最近の私のことがあまり嫌いではない。

しかし「私だけが認める私」では不安定である。

たとえば明るく振る舞い過ぎたのではないかと不安になる。

受け入れられてると感じないこともない。

このまま継続することができれば、おそらく、私の望む規模の結果は感じることができる時が来ると前向きに信じたい。

 

そんなことを考えていたら涙が流れた。