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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

助演俳優らしき生き方へ

「人生というドラマの主役は自分だ」というようなフレーズはしばしば耳にする。

各々が生きる中で主となるものは己の存在感なのだろう。

シスターや僧侶の世界観は分かりかねるが、どれだけ謙虚に生きる人にも少しの自尊心というものはある。

それを傷つけられること、打ちのめされることはやはり堪え難いことだろう。

 

「あの人は自分が主役だとしか思っていない」

そんな陰口めいたことを聞いたことがある。

諸説あろうが、「その人」は間違っていないと私は思った。

ほんの少し掘り下げる。

自己(A)があり、他者(B)があり、環境(舞台)がある。

これらを仮に、すべての人に当てはめるとする。

するとBから見るAはBとなる。

すなわち自己は主演でありながら、同時に数え切れないほどの脇役をこなしていることになる。

多くの場合が「通行人」や「村人」になるだろう。

この配役に固有名詞が付いた日には跳び上がるほど嬉しいのではないかと私は考える。

「ある人」の人生に深く関わり、敵役、親友役、パートナー役と、誠に勝手ながらそちらの舞台を盛り上げるのだ。

とても個人的な趣味であるが、私は主演よりも助演の方に絶大な魅力を感じる。

主演は嫌でも目立つからだ。

1人でいい、誰かの人生の「助演女優賞」をとることがかねてからの野望かもしれない。

 

はじまりが仮の話であるため、野望が果たされるか否か、明確に答えが出ることはない。

それに「賞」とは第三者が偉そうに付けるものだ。

そういった諸々の点を集めると、やはり人生に配役をふることはかなりズレているというオチになる。

それでも、主役に重きを置くか、脇役に重きを置くかで人生観は変わるだろう。

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