躁うつ病(双極性障害)ランキングへ
読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

人生30年のすすめ

このところ学生の自殺の記事が多く目にとまる。

何とも表現し難い気分になる。

時代に応じて、その手段を変えて健在するいじめ。

どんなに対策をこうじようとも、それ自体を教育の現場から切り離すことは出来ないという考えのもとで働いているという中学教諭の方の投書を読んだことがある。

 

小学校6年に上がった頃、幼馴染の女の子を指し、「あの子はムカつくから、あいらもこれから無視して」といったことを他の女の子に言われたことがある。

私個人としては微塵もムカつかなかったので戸惑った。

自宅で母親に相談したところ、「私はその子のことが嫌じゃないから、そういうことはしないと伝えたらいい」と諭され、翌朝実行した。

幼馴染の子とも、「無視」を強要してきた子とも円満に生活していった記憶がある。

相談して本当に良かったと大人になってから母親本人に伝えたら「まったく覚えていない」と断言された(無責任)。

 

中学に上がり、自虐体質が強くなっていった頃など、多少の「いやがらせ」などは順番に受けたが、周りは何故、私のようなつまらない生き物をいじめの対象にしないのか疑問であった。

いじめる価値もないのだろうと、とことん自虐的に考えていた。

過去にも記したが、いじめの最上級は「無視」だと考える。

現代ではそれが「既読スルー」という言葉に当たるのだろうか。

スマートフォンという物体がある時点で物理的に何らかの接点があるのだから「無視」とは異なるだろうものの、おそらく、報道には載せられないそれ以上の何かがそこにはある。

 

高校の倫理社会の授業で、自殺の問題が取り上げられたことがあった。

当時の一部始終をまとめた後、教諭は17、18歳の生徒たちを前に断言したのだ。

 

「どんなにつらいこと、苦しいことがあっても30歳までは生きろ。30になって人生が面白くないと思ったらその時に死ね。今は死ぬな。」

 

とてつもなく衝撃的な言葉だった。

 

教諭の歳の頃は当時40代後半から50前後に見え、妻子持ちの貫禄がある方だった。

聞いた時は、学校から自殺者が出たら困るための抑制だろうと偏屈にとらえた。

しかし、何かにつけてこの「人生30年論」は私の脳裏に残り続けた。

 

そして29歳のある日、交際相手と一緒に何気なく入ったバーで、新たな衝撃を受ける。

そのバーでは、足を不自由にされた音楽家がギターを弾きながら歌っていた。

酒の席の話である、すべては間に受けずとも話していたところ、年齢を聞かれ、「今年30になる」と答えた。

「30!まだ“人類”でもないね!」

高らかに屈託なく笑いながらそう言って酒を煽る紳士は、とても楽しそうに、曲をリクエストすると山口百恵の「秋桜」を歌ってくれた。

本当に、冗談の類だったのだと思う。

しかし本当に、それまで十年以上秘めていた「人生30年論」はあっけなく崩れ去った。

 

 

それでもなお、自殺未遂を繰り返すことがある。

これは躁転した時に見られる。

抑制が効かなくなると、目が覚めると病院のベッドの上ということは何度かあった。

もう二度と、ここへは戻らないと決め、初めて自らの意思で前向きに入院したのが昨年末からの約3ヶ月である。

自分を制して、また、堪え難い死別を受け入れて、

生きていかなければならない。