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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

金と時間、時事と想像

物騒な報道が続き、何日も新聞を買うことが出来ずにいる。

1人でいるときはテレビをつけない。

図書館の本を熱心に読むことにも飽きてしまう。

最低限の家事が終わればやることは何もない。

身体を動かすことも、何時間も続けられるものではない。

そうすると不安しか残らない。

近いうちに再び世界大戦でも起こるのではないかという不安と希望がある。

どうやら世の中、女子供は死んではいけないが男は死んでもいいらしい。

昨今の報道は、私にはそのように読み取れる。

私のような「死にたがり」は、いざという時こそ生き残ってしまうことがセオリーだ。

セオリーに反したいと思えば思うほど、物事はそれに準じて進む。

社会に出たいという希望があった。

それが叶えば、存在することに後ろめたさを感じなくなるのではないかと想像したからだ。

実際のところ、就労支援事業所の利用手続きは順調に進めている。

それにも関わらず、社会に出たところで、あるいは現在の生活を続けたところで、不安や不満がつのり続けることには変わりはないのだろうとようやく気がついた。

いくら、非現実的な想像(妄想)をしたところで、結局は私はそれが現実ではないことを認識することができる。

本当に認識することが困難な人も存在する。

そういった点から、私は極めて「半端」なのだ。

相変わらず、娯楽にあてる費用の見当もつかない。

今はそれが不満でもある。

しかし大戦でも起きたらどうだろう。

私のような「半端」者は保護されることはないと思うのだ。

裕福になった国家だからこそ生じた「甘え」こそが私どもの存在で、今日生きるか死ぬかという国家に戻ればそんなものはもみ消されるに違いない。

我が国の大多数の国民は「自分が戦争に巻き込まれることはない」と考えていると思う。

しかし事はそれでは済まされないところまで迫っている。

 

……そんな「想像」が尽きない。