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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

1986年生まれ。 2002年、精神科受診を余儀なくされる。 2008年、精神科閉鎖病棟入院(病名不明)。 2011年、躁うつ病と暫定。 2017年までの約10年間入退院を繰り返す。

高校演劇への未練と自殺未遂

公立の中では進学校と呼ばれる高校に入学して間もなく、演劇部へ入部した。

当時の、人前に立つことが大の苦手で自分の発言がない私からすれば考えられない横行だった。

結果的に何も残さず2年の夏に退部することになったが、後悔だけが今でも残り続ける。

今朝方、その夢をみた。

現在でも鮮明に当時の部員や卒業生のことを覚えているものだ。

ひどくいたたまれない。

 

入部の切っ掛けは、「引っ込み思案な自分を変えたい」という思春期にありがちな純な動機だった。

この点のみに着目すれば、すべてうまくいっていた。

人前で自分を表現することが快感となったことは今でも忘れられない。

ある種、躁転だったのだと思う。

勉学は疎かになり、部活動のためだけに通学するようになった。

退部の要因は「自殺未遂」だ。

現代におければ、「頑張り方が分からない」、「どう頑張ればよいのか分からない」、「他者から見て頑張りが足りないという自分のことが許せない」といった考えには立派な弁護が成立するだろう。

当時の高校生にはギリギリ、それがなかった。

 

自分で記載するのは気恥ずかしいものの、私はいわゆる「キャスト」に専念していた。

台本を覚えるのも比較的早く、どうでもよいような小道具を用意することが得意だった。

一般と比べればおそらく大きいけれど、声量は部員の中では一番なかった。

それでも大役を頂戴し、自分は演劇だけをやっていればよいと思い込み、高校レベルならではの陳腐な役作りに没頭する日々が続いた。

 

ある時からである。

全体的に「なんとなく」でやってきた部員たちに対し、発言力の高い部員から毎日のように叱咤が入るようになった。

当然のことだ。

どんな部活動にもチームワークというものは必要であるが、演劇という分野はそれが特に繊細だった。

「引っ込み思案な自分を変え」ることはできてきていたが、私にはまだまだ発言力と意思が足りなかった。

 

地区大会に向けての新しい台本が決まり、役割も与えられた。

主人公はピアノを弾く。

私は音楽がからっきし苦手でピアノなど触ったことがないに等しい。

さあ、頑張ろうと思った時だ。

何をどう頑張ればよいのかさっぱり分からなくなった。

台本をどれだけ見ても身が入らない。

明日には「読み合わせ」で全部員が顔を合わせる。

 

明日、目が覚めなければよいと考えた。

 

 

 

 

退部してからの生活は部活動のみの生活以上に、比べ物にならないほど酷いものになった。

授業では何を言っているのか当たり前のように理解できない。

周りはそろそろ大学へ向けての進路を考え始める中で、名門と呼ばれる大学の名前すらまったく知らない上、興味もわかない。

人間関係は割と良好なままだったにも関わらず、自然と学校へ通う頻度は減った。

誰1人化粧や染髪などしない校風の元で、派手な化粧をし出し、髪の毛も脱色した。

学校へ行くふりをして昼間から街をたむろする。

 

それが「自己」だと見誤り続け、単位取得不足で3年の秋に停学処分となった。

 

学校自体に思い残すことはない。

演劇を始める切っ掛けとなったのなら、本当はずっと続けたかった。

 

高校のクラスメイトの顔や名前はほとんど覚えていない。

しかし、演劇部に関わった人々のことは鮮明に思い返される。