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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

1986年生まれ。 2002年、精神科受診を余儀なくされる。 2008年、精神科閉鎖病棟入院(病名不明)。 2011年、躁うつ病と暫定。 2017年までの約10年間入退院を繰り返す。

意思と言葉の共有〜躁鬱病ブログ

病状の考察

最近の私は「意思がない」らしいことに気づかされた。
具体的に何かをすることを抑えていると表現する方が近いかもしれない。
やりたいことはたくさんある。
しかしながら様々な理由から行動が伴わない。
「抑える意思」ととらえたいものだ。
そこを人に説明することは難しい。
だからどう思われようと構わない。
とても投げやりなのだろう。

入院中、広辞苑のような大きな辞書をひとつ欲しいと思っていた。
人々と言葉を共有するためである。
それを読んでその通りに動くためではない。
それを元に共存することが目的だ。
ところが考えてもみれば、普段から辞書や辞典を持ち歩く人などそうそういない。
学生はどうか分からないが、一般はせいぜい携帯電話で検索するくらいだろう。
その行動の元に何があるのか見極めなければならない。
私は常用語でですら他者との間に「ズレ」を感じた時には辞書を引いて、あるいは違う言葉で表現して相手と意味を確認する。
それをしたかった。
言葉の意味を共有しなければ話が先に進まないと信じていたところ、「辞書に頼る」ことが「自分の意思がない」と判断された。
説明する力が今の私にはない。