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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

死に至る過程

私はどこか、自分が特別であると勘違いすることがある。

まったく、そんなことはないのだと思いたいし、事実、特別ではない。

では、普通か、一般的かと問うと、そういう気もしない。

いったい何なんだ。

 

何をもって特別なのか、考えることもある。

それを考えるとさして特別ではないと思えるものだ。

どんな人間にも平等に共通すること、それは命が一方通行であるということ。

そこに何らかの障害は誰もが抱えている。

それを大きいと感じるか否かはその人の価値観によるものだ。

 

しんどいと感じる時ほど、生きることを選ばなければならない。

死に至る過程には「生きる」ことが含まれるからだ。

どれだけ崇められようとも、史上、蘇ったファラオなど存在しない。

どれだけ構想しようとも、タイムマシンというものは発明されない。

 

たった1世紀も生きられないような生物が、もがき、あがくことなど到底くだらない。

 

この発想から、何故、生物は子孫を繋いでいくのか、入院中思い切り一生懸命考えた。

結論だけ書くと

子どもに「産んだ理由」を各年齢時、的確に伝えられる道徳が構築されるまで

性行為はしないというものになった。

 

双極性障害は遺伝的な疾患だと聞いた。

健在の母にはそういった傾向はない。

それでも、

自らの都合で新しい命(人格)を産み落とすことに現在の私は強い反感を抱く。

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