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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

躁哲学

人と人の間

人という字は人と人とが支え合ってできている そんなことは有名なドラマなどでもよくいわれていた。 しかしこれでは不十分だ。 人ではなく、人間であること。人と人の間に存在して初めて支え合うことができる。 「お前らは人なのか、人間になりたいとは思わ…

本能ドア

心、精神が何物なのか、自分なりの定義を見出したい。 一般論ではない、教科書や参考書に載っていることではない、医師が説明する内容ではない、それらではどうも納得が出来ない。 厳密には心と精神も異なる物質かもしれない。 しかしその辺りはあまり気にな…

不満足な愚者

「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである。 」 倫理社会の授業で衝撃を受…

助演俳優らしき生き方へ

「人生というドラマの主役は自分だ」というようなフレーズはしばしば耳にする。 各々が生きる中で主となるものは己の存在感なのだろう。 シスターや僧侶の世界観は分かりかねるが、どれだけ謙虚に生きる人にも少しの自尊心というものはある。 それを傷つけら…

人生30年のすすめ

このところ学生の自殺の記事が多く目にとまる。 何とも表現し難い気分になる。 時代に応じて、その手段を変えて健在するいじめ。 どんなに対策をこうじようとも、それ自体を教育の現場から切り離すことは出来ないという考えのもとで働いているという中学教諭…

社会と命、疲労と結果

何ヶ月か前、テレビ番組で聞いた話である。 (私の場合、テレビは聞き流すもの) 疲労感がなくても実際身体は疲れているといった内容が流れていた。 過度な労働に対し疲労感が伴わないことは危険なのだそうだ。 事実、終電間際まで作業に没頭し帰宅後午前4…

小さな世界で

極めて狭い世界で生きていることを自覚している。 今以上に広がることは厄介だ。 何らかの、時代にそった文化的な事物に触れることは良いことかもしれない。 そこから「世界」もとい「考え」は広がる。 ただでさえ持て余す想像を、これ以上広げても利益はな…

街を歩けば

街を歩いてみたいと表記した。 ちょっとしたキッカケで、少し栄えた隣町に出向いて歩いてみた。 引きこもって餓死したいほどに刺激が強すぎた。 この時期は卒業シーズンだから尚更である。 また、3月は自殺防止だか予防だか強化月間らしいことを大きな広告…

夢という言葉にしがみつく日本人

夢を持つ成人とは、もっとも現実を知っていなければならない。 現実を知っているから夢を抱くのかもしれない。 多くの事物を「夢」という言葉で片付けることは不適当で無責任であるからだ。 適当かつ責任能力があるからこそ、「I have a dream」という演説の…

三色の図工

小学校高学年の頃の担任の先生の話である。 彼は今の時代にして思うと完璧に近い過労教師であった。 児童1人1人と向き合う姿勢、授業内容の構成、課題の出し方、手書き学級広報の頻繁な発行、ご自身も学ぶということを忘れない観念、… 40人弱いたクラス…

人間の不良品

タイトルは中学2年の時に書いた、人権作文のものだ。 周囲はもっぱら「いじめ」を題材にする中、私はそれを選ばなかった。 髪を赤色に染め、たまに原動機付自転車で校外を走り回っていた1人の先輩のことを指して皆、隠れて「不良」と言うのだ。 学年が違え…

逆説的自由

自由になりたいとは、誰もが年齢や環境に応じて抱く「夢」であると思う。 何のために素因数分解を学習し、そこに時間を費やすかなど、当時は分かり得ない場合が多いだろう。 自由に遊びたい、自由に買い物をしたい、自由に暮らしたい、自由に生きたい… では…

はたらくということ

平日の生活に慣れてきたかと思ったら週末。 通常生活(というものがそもそもどんなものかもはや分からない)になるまではまだまだ時間がかかりそうだ。 非日常に感じた入院生活も恋しくもなる。 今に比べるとだいぶ不自由だった。 その分、小さなことで気持…

気は病から

そんな言葉は既にあるのかないのか知らない。 しかし「病は気から」以上に説得力を覚える。 たとえば余命宣告のある病に苛まれる。 すると些細な日常にどれだけの幸せを見出すことが出来るか。 その「余命」の中でどれだけ、自分、あるいは家族のために生き…