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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

再会とウツ状態

外来診察にて、ウツ状態であると診断された。

いまいち実感がない。

 

確かに着替えも億劫で受付終了時間ギリギリまで自宅にこもり、部屋着のスエットのまま化粧もせず外出した。

近頃作業所へ通う足取りも重い。

 

不安定な状態で安定(物議をかもす表現)していた数週間が躁とウツが混ざっていた時期であったと取れるらしい。

今までは自覚もなくこの時期に入院することが多かった。

しかし実際のところ、周りが本当に迷惑する時間は短期間である。

 

過去に経験した明らかな鬱状態が私にとってあまりにも甚大なものであったためか、今の程度でウツといってしまってよいものなのか、受け入れられない。

こんな状態をウツと呼べるなら世の中ラク過ぎる。

身体は動かせるし周囲に興味がわく瞬間もある。

何より文書を打ち込める。

 

果たしてこれはウツ状態なのか。

 

鬱の程度の問題であることにすればよいかもしれない。

現在の私は極めて軽度のウツ状態だ。

この先、重篤になるのか躁転するのか、まったく読めないから不安であるだけだ。

 

時間が過ぎることをただ待てばよい。

 

帰りに病院の敷地内で10年ほど前とてもお世話になった看護師さんと通りすがりにお会いした。

当時22〜23歳という若さで半年以上入院していた患者は私だけで、彼女はおそらく母親世代に当たる方である。

保護室に隔離されそこから出なくて構わないと思い続けた、それこそ比較的ひどく鬱状態であった私に毎日、日勤終わりに会いに来てくださっていた。

 

今、B型支援に通っていると伝えられたことが嬉しかった。

何も変わらないと言えばそれはそれでよかったのかもしれないが、しかし来年ではなく、今年通所し出したことを初めて光栄に思った。

明日からまた継続しよう。

 

そう思える私はやはりウツ状態てはない。

これを「普通」にしたいだけだ。

精神障害はツライのか

私個人としては、つらくないと思い込もうとしている。

ツライ人は本当にツライのだろうと思う。その方々を否定するわけではないことをはじめに断定する。

ただ、私はつらくない。

 

身体が痛むわけではない、物を食べられないわけではない、常時、呼吸が困難なわけではない。

 

何も不自由はない。

 

では、県から交付されている精神障害者保健福祉手帳は何のために存在するのか。

 

身分証明のためだ。ちょうど、返納させられた運転免許証の代わりだ。

 

私はどうかしていることは私がなんとなく把握している。なんとなくだ。

本当に困る時はこの先いくらでもおとずれる。

今がつらいのだとすれば、この先やっていけない。

どうかしている(気が触れている)とは、いくらか客観的な表現だ。
つらさとは、割と主観的になる。

 

どうやら不安定な状態が続いている。

主観が客観を求めすぎて不安定なのかもしれない。

どれだけあがこうとも、主観から客観視することなど到底不可能である。

早くに諦めて主観に正直に沿うことができれば、どれくらいのツラさがあるのか分かるのかもしれない。ただし私の主観がそれを望まない。

 

どのように不安定なのか。

声をあげて泣いては叫び、大声で笑っては泣き、しばらく黙り込んではまた涙を流すことを繰り返している。

つまり不安定な状態が継続し安定している。

程度がどうあれ、どんな人にもあることだと思う。

それをいちいち騒ぎ立てることなどくだらない。

私の感情論など取るに足りない。

 

厳密に表現するなら、「精神的につらい」という状態がどういう状態なのか分かりかねる。

数値化できればいい。自己申告ではなく誰もが客観視できる数値に。

この人は、このくらいつらいんだ、私はこの程度しかつらくない、といったことが分かるようになれば誤解も偏見も減っていくだろう。

痛みを数値化する技術が使われるようになってきたことを何年も前に聞いたことがある。

 

人工知能にはテレビをつけさせたり退屈しのぎの会話をさせている場合ではない。

私がどれほどつらくないのかを客観的に証明してみせていただきたいものだ。

死神など来ない

ここのところ不安定な状態が多々ある。

漠然と虚しいと感じることが多く、しかし単純に暗い気分なのではない。

突発的にいわゆる危険な行動を起こしたくなる。

具体的には赤信号の大通りに飛び込むことだ。

次の瞬間には、それでは致命傷を負う可能性があまり高くないと考える。

次には首を吊る具体的な方法を思い出す。

道を歩きながらその考えに対して涙が浮かぶこともしばしばだ。あまりに矛盾する。

外に出れば、目的地へたどり着けば気分は紛れる。

誤魔化しているとも表現できる。

こういう時は自宅にこもる方がよいのだろうか。決断しかねる。

 

何かの物語のような美しそうな表現をするなら、私は死神を心待ちにしているのだと思う。

 

しかし待っているだけでは死神はなかなかやって来ない。

ことを成そうとするときは得てしてそういうものである、自ら動かなければ状況は変わらない。

 

ひととはそういうものであろうが、私は周りと比べそれ以上に、他者からの評価に何事よりも重きを置く傾向が強いことが最近少し分かってきたような気がする。

評価されない行動に意味はない、評価されない自分に価値はない。

 

今この刹那、私はたった一度の命の終わりをとげたいと切望している。
もういくつか刹那を重ねると、おそらく死ぬことは誰からも評価されない無駄なことであると考えているであろうことがなんとなく想像できる。

 

しかしその刹那を重ねた時が来るまでの刹那が、今の私にはただあまりに長いだけの話だ。

妄想正論を崩せ

何らかの作業をすることには偏った集中力が必要だ。

それは家事、趣味、仕事など、人それぞれである。

 

私の場合、就業時代にやっていたことが趣味として残っている。

普段は特別にその作業に勤しむことはない。

その手段を使って具体的な何かに取り組みたい時、恐ろしく時間の管理ができなくなる。

近頃は疲労感というものを身につけるようになったためまだましかもしれないが、提示されたスケジュールなど構いはしない、一刻も早く納得いく結果を得たくなる。

就業時代にはそれが身体に危険を及ぼすことを理解すらしていなかった。

現段階、このままではよくないと考えられるようにはなっている。しかし考えたところで休息するということを実行に移すことができないのではあまり意味がない。

 

冒険家や登山家などで、九死に一生を経て全快した後、探索を続ける方々が少なくない。

ちょうど、それらと似ているのではないかなどと陶酔することが過去にしばしばあった。

私は先々、できれば自らの過去の業種に就きたいと考えることがある。一から学び直し、再就職すれば今度こそうまくいくと強く思い込んでしまう。

 

そんな考えを巡らせると眠れなくなる。

あまりにも未熟な社会経験が相応以上の妄想となってのしかかる。

その社会経験がなければ精神の病気は発症しなかったかもしれない、この業種は私には危険であるという根本にたどり着く。

しかし思考は躁状態であるため、何事も私にとって都合のよいようにとらえる。つまり、その業種の社会経験が病気の早期発見に繋がったのだと正当化し始めるのだ。

 

一般に躁鬱病のひとは就業が長く継続できないことが多いと聞く。私はまるで典型である。

 

休息と発散のバランスをほどよく取らなければならないと切望する。

そして間違っていると思えるようになってきた自らの正論を粉砕したい。

空ばかり見てどうする

おそらく被害妄想というやつだ。

 

今さら何を後ろめたく思おう。

 

 

実在する人、記憶の中の人、夢の中の人、すべてのひとから見下されている。

前から知っていた。今さら働く能力などないことを知っている。働いたとしても極めて劣等であることを知っている。

 

昨日からなぜだか知らないがよく涙が出る。

 

見下されると感じるのは、見上げるからだ。

見上げればいい、涙はこぼれないし夜の星も見えるかもしれない。昔誰かがうたっていたことだ。

ただし見上げる先の視線をまず現実的な範囲で定めなければならない。

 

見下されるとは、良い気がするものではない。

自尊心がだいぶくたびれたのだと思う。

 

私もいつかひとを見下すのだろうか。

そうではない、今でも人様を見下している。

最も下等な生物は私であると特別視して周りを見下している。

なんだか様子がおかしいということに気がついたものの、打破できる具体策が見当たらない。

真夜中の殺意

中途覚醒してから2時間近く寝付けない。

しばしばあることだ。

2時間は割と長い。つい、携帯に手を伸ばしてしまった。スマホ依存とも呼ぶべきだろうか。

 

夜の考え事は良くないとされる。

分かっているものの、考えようとしなくても考えはさまよい続けるものだ。

この考えに支配されなくなることが私の中での目指すひとつの治癒である。

 

今夜はとても犯罪的な考えがさまよっている。

ある特定の個人に対する深い憎悪から殺意が芽生えた。大声で「死ね」と叫び、暴れ散らしたいくらいだ。

昨年ならば何もかも気にせず実際に大声を上げていたことだと思う。

今夜はその辺りは抑えられるレベルにとどまる。

死んで(消えて)いただきたいものは実はその個人の実体ではない。私の思考の中にある個人の記憶なのだと最近は把握する。

 

他者を嫌悪することにはエネルギーが必要になる。

どうでもよいと思えるようになることが一番だ。

好意を持ってエネルギーを使うならまだしも、憎悪でエネルギーを使うことははなはだ愚かだ。好意が度を超えると憎悪に変わることもあることから、この反する単語は表裏一体であるとも呼べる。

 

六法全書の内容など知識として皆無に近い。

ただし、ひとがひとを殺めたときにはそこにどんな同情すべき理由があれ、その罪をつぐなわなければならないことははっきりと理解しているつもりだ。

精神鑑定という言葉はよく聞くが、それは私には当てはまらない。

やってはいけないことだと理解した上で遂行することは完全に罪であることを、私は理解している。

 

それでもなお、ある特定の個人を物理的に派手に傷つけ死にいたらしめたいと考える。

その考えは具体的な段取りにまでおよんでいる。

 

まったく、無駄なことだ。

 

それの存在に支配などはされない。

そう考えること自体が支配されていることになるのだと真に理解する瞬間がおとずれることを待つ。

SNSへの対処

あることが切っ掛けでSNSをすべて退会したと記したことがある。

 

切っ掛けとは、主治医からの禁止令だ。

 

躁に転じる時、具体的で犯罪的な事柄を一気に発信してしまう可能性が高いかららしい。

間違っていない。

 

そのためウェブログに逃げるというあげあしを取っていて、知り合いの誰にも内緒にしている。

こちらもコメント投稿は表示されない設定を選んだ。

ハンドルネームも過去にまったく使ったことがない類である。

内容が過激になる時こそ表現に気を遣わなければならないと思いながらも極端な発信は続く。

特に犯罪的な事柄を想像し続けてしまう時に限り、自己の決断で固有名詞は使わないようにしてきたつもりだ。

 

見ず知らずの方とでも、見ず知らずの方とのやりとりでこそ、過去、危険なことが少なくなかった。

過去に利用していたSNSでは、ほとんどが長きに渡る実際の知り合いとの繋がりしかなかった。

現代において、私はどちらかというとアナログなひとである。

 

ごくたまに、Twitterなど(これは厳密にはSNSではない?)から情報を得たくなる。

そう考えるときはテンションが高いときが多いような気がする。

 Twitterを利用しなくなったことにより、なんとなく知り合いだった人間が一気に減ったということに最近気づいた。

個人的な連絡先を知ってはいても、具体的に連絡を取り合う間柄の人間はごくわずかだ。

なんだか淋しい。

この辺りはだいぶ現代人である。

 

昨日か一昨日の記事にある、10代中頃からの友人たちの動向がとても気になったりもする。

しかし今更どの面を下げて、インターネット上ではどんな文面を使って交流を持ちたいというのだろうか。

 

希望と諦めの差し引きがゼロになり、行動に移すことはない。

すべてのはけ口がこのウェブログになっているということを今一度ご了承願いたい。

結婚妊娠出産を考える

私は一般的にみて、公私ともに充実すべき20代がまるで抜けている。

同じ年代の人間がこなせること、手に入れられるものごとを私がこなす、手をつけるには、単純計算でも10年は遅くなる。

 

この前提を忘れてしまうことが頻繁にある。

 

私は10年、休んでいただけだ。

何もしないで社会に生かされて来た。

できたらこの先は返していかなければならないと考える。

 

人生に遅すぎることはないという言葉はしばしば耳にする。

実際のところ、どうなのだろう。

 

女性には出産適齢期というものが未だにあると思う。

晩婚化、高齢出産の傾向が強まる中でも、10年の遅れはなかなか厳しい。

医療が進むおかげで高齢出産自体には問題はないだろう。

しかしその後の子育てはどうなるのか。

 

子どもを産み落とすだけ産み落として成人する前に他界することは避けたい。

それは私自身が成熟する前に片親を亡くしたことを深く呪うためだ。

それならばはじめから産まなければいい、つくらなければいい。

 

どうして私を産んだのか、母親に聞いたこともある。

母は堅実で、寛大な生き様をしている。

どうして私のような問題分子に育ちあがってしまったのか、申し訳ない気持ちで支配される。

私の性質はなんらかの隔世遺伝であると信じている。ここで断ち切らなければならない。

 

そもそも“人格”に問題があるがために劇薬にまみれた遺伝子など後世には必要ないのだ。

 

誤解のないよう加筆する。

私は堕胎を経験している。

その当時は躁状態で、それを薬と医者に押さえつけられていた。当時服薬していたものがあまりに妊娠に適さないと、処方されはじめに注意を受けた記憶はないと医者に喧嘩を売り続けた。

話にならなかったことは記すまでもない。

自らを悲劇のヒロインに仕立て上げることなど何をすることより容易であった。

それを発信することにも、同情を煽ることにも陶酔していた。

本当に、気が触れていたのだと考えることが妥当である。

 

パートナーは現在も婚約者として側にある。(3回ほど婚期を見送っている)

彼と家庭をつくることはささやかな、しかし夢という言葉を使うとしたら唯一の私の夢だ。

 

何もかもが邪魔をする。被害妄想発症中だ。

同年代の知り合いが結婚をしようが、妊娠をしようが、出産をしようが、私には10年以上先の話なのだ。

そこを取り立てて妬むなど、勘違いも甚だしい。

 

分かっているはずだ。

人間関係の玉砕

10代後半から20代前半にかけて親密であった友人たちのグループがいくつかある。

 

彼女たちとは共通の趣味で知り合った。

そもそもが同窓生に共通の友人がいたことが大きなきっかけであり、年齢が近いこともあいまって特別に約束などをせずとも実存の共有スペースへ赴けば会うことが出来るようになっていった。

毎月のように会っては他愛ない話をしたり悩み事を打ち明けたり、記念写真を撮ったりと楽しく過ごし、その時間は当時の私にとってかけがえのないものであった。

インターネットや携帯電話が普及し始めた頃で、会えない時には頻繁にメールのやりとりなどもおこない、親睦は深まっていった。

 

とりわけ多感な時期を共有した仲間であったと認識している。

私が躁を発症するまでは。

 

彼女たちの中には鬱病、あるいは若くしてうつ状態を経験し乗り越えた者や、難病を隠しながら笑顔で振る舞う者、今でいう発達障害を持ちながら一般以上の勉学に励む者など、どことなく特殊なのか、実はそれが普通なのかもはや分かりかねる人間が何故か多くいた。

私が体調を崩したことが明白になった22歳の夏頃にはとても心配されたものだ。

精神科の閉鎖病棟宛に彼女たちからの寄せ書きがされたサイン色紙が送られてきたほどで、今にして思えばギャグである。

 

幾度となく、仲違いをすることもあった。

その度、それらを複数の人間で理解し合うために話し合い、そんな時、私は仲介役を担うことが多かった。

それでも、集団から離れていく人間も少なくなかった。存在を過大評価しなければ、私はその中の1人に過ぎない。

 

この友情は何歳になっても続くものであると信じて疑わなかった。

私の葬儀にはせめて彼女たちが来てくれるのだから淋しくはないと思い込んでいた。

 

何事にも変動はおとずれるのだと、今では分かる。

 

彼女たちは仲介役、自らの意見を制御し、双方を尊重することが出来ていた頃の私に出会っている。

そんな仲介役(仮)が、ある時突如として、自らの支離滅裂な意志を通すことしかしなくなり、周りを見下し始めたら、それは誰しも困惑する。

 

喧嘩腰にならず集団から抜けるという彼女たちからの要求を、誰がどう見ても喧嘩腰に承諾したことの自覚すら当時の私には皆無だった。

いつでも、その友情は取り戻せるものであると信じきっていた。

 

著しい気分障害とは、どれほど信頼関係がある間柄でもたやすく粉々に壊してくれるものなのだ。

心理学と精神医療

心理学の何たるか、それを志したいと切望するわけではない。

 

たまたま部分的に視聴した、家族が好んで視聴するサスペンスドラマ番組などで頻繁に取り上げられており、いかにもそれっぽく殺人犯を見破るのだ。

何回か、聞き流していただけでも種類はいくらでもあるように感じる。もちろんテレビ向けに脚色されている部分もあるのだろうことは心得る。

 

それでも、なんとなく考えた。

心理学を志し、自らの思考や感情を抑制することができるようになれば、突発的な躁的思考などにおびえることは極めて少なくなるのではないだろうか。

周りの人間をどうこうしようというものではない、自らのためのみの範疇だ。

客観的に、精神医療の分野には心理学が用いられていてもおかしくはないと考える。

 

こういう時、インターネットでは情報の信ぴょう性が掴みにくい。

一時期、図書館に通った時のことを思い出すと、心理学書は思想書や哲学書の近くにほんの少し置かれていただけのような気もする。

情報は極めて少ないのだろうか。

しかし少ないからこそ手に入れやすいものもある。

 

来週火曜の帰りには、なんとなく図書館へ立ち寄ろうかなどと考え始めた。