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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

同価値ではないモノ

この日も、私は精神科閉鎖病棟のベッドにいた。

意欲がなく、ただ横たわっていた。

ゆっくりとした大きな揺れに、不謹慎にも遊園地のアトラクションかのような錯覚を覚えた。

依然と動く気力もない。

同室のおばあさんが「こわいよぉー、こわいよぉー」とうろたえ出す。

廊下では師長さんが大声で「部屋から出ないで」と言いながら早足で歩いているようだった。

地震なのだとようやく認識した頃には電気が消えた。

 

全患者が狭い集会室、とでも表現すればよいのか、広めの部屋に集められ、その時、保護室に隔離されている人はいるのかと不安になった。

私もこの入院の時ではないが保護室にお世話になったことがある。

ベッドとトイレ(と書くには美し過ぎる、布団と排泄場)があり、いうまでもなく何も持ち込めない。

院内での自殺未遂によって隔離されたため、始めの数日は手足の拘束もされていた。

室内にドアノブのない不思議な部屋だった。

 

時間の頃は、ちょうど夕食の支度がなされていたのだろう、急な停電にどう対応してくださったのか疑問だ。

通常、全館ラジオ体操に使われるラジカセに非常用と思しき電池が入れられ、情報はそこからだった。

しかしながらイマイチ何処で何が起きているのか分からなかった。

電力は復旧しないまま消灯時間を迎えた。

 

夕食の米がしっかり炊けていなかったと愚痴のようなものをこぼし続ける何人かの患者に強い嫌悪を抱いたことをよく覚えている。

 

翌朝から、テレビ映像、音声から溢れすぎる情報を得ることになる。

この犠牲者の名前の中にもしかしたら大切な友人の名前があるのではないかと先の先まで想像したりもした。

そして死者、行方不明者は日に日に増えていくのだ、と、ほとんど他人事に感じだ。

病棟はあまりにも保護されていた。

 

公共広告機構など、憧れに憧れた企業の1つであったが、大衆は怒りのやりどころがなかったのだろう。

 

当事者にしか分かり得ない感情の1つ、それは天災に遭うことによって生じると思う。

遺された側の感情。

中高生やそこらの年齢で、変わり果てた故郷そのもの、その中にある様々な遺体のなれの果てが目に入りながら「避難所」へ向かわざるをえなかった青年たちは今、何を思うのだろう。

 

私はほとほと恵まれすぎている。

だから命の価値を見誤るのだ。

街を歩けば

街を歩いてみたいと表記した。

ちょっとしたキッカケで、少し栄えた隣町に出向いて歩いてみた。

引きこもって餓死したいほどに刺激が強すぎた。

この時期は卒業シーズンだから尚更である。

また、3月は自殺防止だか予防だか強化月間らしいことを大きな広告で知った。

何日か前からか、退院する前からか、自殺願望は止まない。

願望とまで強くなることはしばしばで、希望くらいなら常備している。

そんな時、自分は「誰の何」なのか考えるようになった。

「立つ鳥跡を濁さず」という言葉があるけれど、所詮人間は人間でしかない。

どう土に埋もれようとしても周りは濁る。

以前は周りのことなど一切考えず救急車の世話になったものだ。

ヒトの命を救う場所に、命を投げたいヒトが運ばれるのでは話にならない。

 

とにかく歩き疲れた。

こんな状態ではリハビリテーションの一環、作業療法に通うことすら難しいのではないだろうか。

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ようやく行動

来週、市内にある福祉支援施設へ見学説明会に行くことになった。

友人たちの行動力(引っ越し、旅行等)に負けていられないとようやく重い腰が上がった感じだ。

その施設はB型支援である。

様々な理由から、すぐさま利用できなくても構わない。

ただ、公共の施設に電話をかけることが出来た。

それだけで現在の私にとっては大きな行動だった。

体験利用も可能らしいため、場合によって見極め、慎重にことを進めたい。

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意思と言葉の共有

最近の私は「意思がない」らしいことに気づかされた。
具体的に何かをすることを抑えていると表現する方が近いかもしれない。
やりたいことはたくさんある。
しかしながら様々な理由から行動が伴わない。
「抑える意思」ととらえたいものだ。
そこを人に説明することは難しい。
だからどう思われようと構わない。
とても投げやりなのだろう。

入院中、広辞苑のような大きな辞書をひとつ欲しいと思っていた。
人々と言葉を共有するためである。
それを読んでその通りに動くためではない。
それを元に共存することが目的だ。
ところが考えてもみれば、普段から辞書や辞典を持ち歩く人などそうそういない。
学生はどうか分からないが、一般はせいぜい携帯電話で検索するくらいだろう。
その行動の元に何があるのか見極めなければならない。
私は常用語でですら他者との間に「ズレ」を感じた時には辞書を引いて、あるいは違う言葉で表現して相手と意味を確認する。
それをしたかった。
言葉の意味を共有しなければ話が先に進まないと信じていたところ、「辞書に頼る」ことが「自分の意思がない」と判断された。
説明する力が今の私にはない。

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金の使い道

何年かにわたり、障害者基礎年金を受給させていただいている。

障害者手帳は2級だ。

実家暮らしであるものの生活は苦しいため大変助かっている。

数年前は受給金を「自分の金」ととらえて(と書くよりなにも考えず)使わせていただいていた。

しかしこのところ、やたら細かく考えてしまう。

一般に、生活保護を受けている家庭で金銭を当ててよいものは国民の7割以上が所有しているものだと知ったからだ。

厳密には規制が異なるかもしれない。

それでも国からいただくものとしては同じことだ。

 

インターネットの利用者数は今年1月中旬の統計で国民の約8割と読んだので安心した。

しかしそもそもこの統計も怪しい。

スマートフォンはどの程度の人が利用しているのか。

外食や映画、いわゆる娯楽費に多少当ててもよいものなのか、非常に困惑している。

同年代と比べればよいかと考えた。

そうすればスマートフォンはおそらく「セーフ」だ。

結局のところ、どれだけの割合の人がどのようなことに金を使っているかなど細かに分かり得ない。

 

現在は年金からは自分で使うものとして、携帯電話代と基礎化粧品代くらいに留めている。

自分の手で金銭を得られるようになるまでは、すべて我慢。

なくても暮らせるものは買わないし時間にも金を使わない。

ちなみに作業療法などはコピー用紙とシャープペンシル、学生時代の教材等でことを成している。

古本を愛読する。

原則、生活費に当てる。そのためにいただいているお金なのだから。

と、一般論を元に自分で決めておきながらとてもスッキリしない。

原則に例外は付きものだ。

本当は好みの服を買ってオシャレをしてみたい。白髪まじりになってきた髪を染めてみたい。肌を綺麗にしたい(皮膚科に通いたい)。可愛らしい雑貨が欲しい。好きな映画を観たい。友人とディズニーランドに行きたい。話題のスイーツを楽しみたい。……。

願望は尽きないが、現在の状態ではすべてが後ろめたい。引け目を感じる。

社会に対して堂々と生きたい。

それが今の、最低限と書くと贅沢すぎるかもしれない野望である。

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夢という言葉にしがみつく日本人

夢を持つ成人とは、もっとも現実を知っていなければならない。

現実を知っているから夢を抱くのかもしれない。

多くの事物を「夢」という言葉で片付けることは不適当で無責任であるからだ。

適当かつ責任能力があるからこそ、「I have a dream」という演説の言葉は有名である。

 

幼少期に抱く夢には悪意がないから美しい。

少年期に抱く夢には半ば強制させられる部分が出てくる。

誰もが子供の頃、将来の夢といった内容の設問や課題に取り組んだであろう。

その都度、現在においては非現実的な「夢」を語っていた人が大多数であると思う。

 

睡眠時に見る幻覚に似た症状のことも「夢」と書く。

何故だ。

ここは区別してもらいたい。

ゆめうつつ(夢現)という言葉がある。

夢なのか現実なのか分かりかねる状態のことだ。

私はしばしばこの状態におちいる。

だいたいが現実に知り合っている人間たちからさげすまれるものだ。

根本にその考えがあるからなのか、起きた時の動悸が激しい気がしてならない。

 

そして覚醒時に抱く先々の希望のことを、私は「野望」と表記する。

夢とは違う。不相応な、野暮な願望でしかない。

野望を抱くのはほぼ全て躁状態の時だ。

その状態が長く続けば続くほどに想像だけが広がり具体的な努力などしない。

 

どちらの「夢」にも翻弄されることには違いない。

 

日本の音楽文化における「夢」という題材が占める割合は大きいだろう。

一番は「愛」や「恋」だ。

私は音楽を好んで聴くことは少なくなった。

嫌気のさす言葉ワースト3が揃っている。

そこまで深く考えずとも、大衆はそれを受け入れる。

言葉の意味がわからなくても、そこに便利さがあれば使用するのだろう。

言葉遊びとでもとらえ、内に秘めておけばいい。

 

いつの時代も、日本語が崩れてきていると嘆く人は少なからずいる。

私もそれは痛感する。

痛感しつつ、崩れた言葉しか使うことが出来ないし、今更母国語を習う気もない。

その言葉自体に会話する相手との共有があればいいだけだ。

ただ、現代語にも日本語訳が必要になってくるかもしれない。

 

例)

げ き お こ ぷ ん ぷ ん ま る

ま こ と に い か ん で あ る

 

どちらが現代語で、近代的であるか分かりかねる例も出てくるだろう。

ある記事によると、歴史的随筆「枕草子」にも当時の言葉づかいから離れた言葉遊びがあったのだという。

 

まことにぷんぷんまる。

三色の図工

小学校高学年の頃の担任の先生の話である。

彼は今の時代にして思うと完璧に近い過労教師であった。

児童1人1人と向き合う姿勢、授業内容の構成、課題の出し方、手書き学級広報の頻繁な発行、ご自身も学ぶということを忘れない観念、…

40人弱いたクラスの中で大層目立たない、かつ発言をしない児童であった私の最後の通知表には「5年生の終わり頃から元気がなくなってしまいましたね。卒業しても先生はいつでも季戸さんの先生です。何かあった時は相談してください。」といった内容が書かれていたことを覚えている。

事実、当時の周りより若干早い思春期をむかえ、ある時突然すべての物事を虚しいと感じ、自らの存在そのものを否定的にとらえるようになっていた。

 

自主学習ノートというものがあった。

算数ドリルや漢字の書き取りなどをすることが億劫だった私はたびたび世界の国々の複雑な国旗の絵を忠実に描きページを埋めていた。

その時にモナコインドネシアの国旗が資料集越しには見分けがつかず、疑問を加筆しておいた。

すると翌日、担任から昼休みに1人呼び出され、何かと思えば図書室に連れて行かれ、図鑑だかなんだかで一緒に調べたことがある。

とても嬉しかった。

 

高校時代、何度か、連絡してみたくなったこともある。

しかし何百人、何千人(という規模で収まるのか分からない)の教え子の中の1人に過ぎない身分とへりくだり、ご連絡差し上げたことはない。

何年か前に小学校教師になった仲の良かった同窓生の話によると、この先生とお会いし激励を受け、おそらく雑談程度に私の話題も出たという。

せ、先生……。

 

この先生の図工の授業が大好きであった。

たとえば写生の課題。

線画に使うものは黒い油性ペンのみと決められていた。

どれだけ慎重に、集中して物を見つめただろう。

当時の小学生は着色の際、原則として水彩絵の具を使う。

その時にも決まりがあった。

赤、青、黄の色の三原色+白しか使うことを許されなかったのだ。

皆大ブーイングである。

まず始め、先生は「この三色を使って“黒”を作ってください」とおっしゃる。

十年前後の人生経験上からですら、非現実的な課題に感じる。

ところがやってみると、これがとても面白いのだ。

三色を混ぜ、どれかというと緑に近い場合、赤を少量足す。

そして紫に近くなってしまったら黄を足す。茶っぽくなれば青を足す。

それが感覚で分かるようになる。

より理想的な黒になるまで繰り返す。

三原色で自分の黒を作ることが出来れば、他の色など魔法かのように自在に操れた。

そうして完成したクラスメイトの作品はどれもみな堂々と、生き生きとしているように感じた。

加法混色の仕組みを学ぶとともに、児童の独創的な作品を見いだすことに繋がっていたのだと思う。

 

中学に入ってもしばらくはこの三色+白ルールを勝手に適用していた。

緑や紫や橙、「黒」の原色を使いだしたのはいつだろう。覚えていない。

 

余計な色が入ると視界は濁っていく。

人格にも三原色があるとするならば、私はほとほと、欲張って色を使い過ぎたのだと思う。

人間から、また地球からは物理的に光は発せられない。

減法混色で生きる人は存在しても少ないだろう。

 

当時のクラスメイトが作った黒に同じ黒などひとつも存在しなかった。

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くたびれた

無心に近い常態で作業が出来たのは2日間までで、現在は身体が動かない。

作業の続きをしたい気持ちは山々だ。

肩凝りとけだるさが半端ではない。

睡眠時間も普段より長かった。

それでもまだまだ眠れそう。

 

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作業療法

約1年前に頼まれた工作をようやく進め出した。

ほぼ丸一日、作業に没頭していた。

明日どっと疲れが出そうで怖い。

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人間の不良品

タイトルは中学2年の時に書いた、人権作文のものだ。

周囲はもっぱら「いじめ」を題材にする中、私はそれを選ばなかった。

髪を赤色に染め、たまに原動機付自転車で校外を走り回っていた1人の先輩のことを指して皆、隠れて「不良」と言うのだ。

学年が違えば詳細なデータも回って来ない時代だ。

彼は明るく、ハツラツとしていて、尾崎豊が好きらしく放送委員では率先して曲を流し、顔立ちも整っていてどちらかというと女子からモテるタイプに見えた。

その程度しか知らない。

 

ある時、同じ部活動仲間でご両親が教師をなさっていた子(当時はそういう認識ではなかった)が、不良は嫌だとさげすみだした。

当時の私は自分の意思を口にすることができる生徒ではなかった。

何故かは断定しかねる。

ただ単純に、自分の言葉が今以上になかったのだと思う。

作文など大の苦手であった。

それでも、あげ足取りは健在だった。

最大の勇気をもってして、彼女に「不良とはどういう意味なのか」聞いてみた。

その回答が「人間の不良品って意味だよ」だったのだ。

今にして思えば答えになっていないが、中学生がたとえば親から教わって納得するにはじゅうぶんな言葉だったのだろう。

その言葉がずっと頭に残り、ない語彙の中で一生懸命考えた作文は大層内容の薄いものになった。

要は人間に不良品などあるのかということをうったえたかった。

 

今でも、病院で新聞などを読んで気にかかる言葉はやはり「優秀な人材」といった言葉だったりする。

何をもって優秀なのか。

誰がそれを決める権利を持つのか。

優秀な人材があるのだとすれば、劣等な人材はどうなるのか。

疑問は尽きない。

 

何らかの分野において抜きん出ていればそれを人々は優秀と呼ぶのだろう。

その分野が社会的に認められる頻度が高ければ高いほど優秀な人材として扱われる。

おそらく言葉自体に他意はない。

言葉を扱う側に絶大な問題を感じる。

それは私が劣等の塊であるからとしか考えられない。

私には何につけても社会という壁がある。

その壁は自ら作っているという自覚もほんのりある。

しかしSNSなどでの何気ない短文、「仕事疲れた」「明日仕事行きたくない」「働く奥さんだから…云々」それらは攻撃的かつ排他的にとらえることしかできなかった。

お仕事ができるなんて素晴らしいじゃないか。当てつけでしょうか。

そういったお門違いな感情を抱いていた。

ちょっとしたキッカケで、ほぼ実際の知人との繋がりしかなく、健全で現代におけるコミュニケーションツールとしては最適であったSNSはすべて退会した。

とてつもなくラクになった。

 

もちろん、中学時代の部活動仲間との繋がりもそこにあった。

現在の彼女から見れば、私は人間の不良品になるのかなぁ。

 

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