にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村

理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

何処で何をしたいか

主治医の見解が変わってきている。

今日たまたま、普段と違っただけかもしれない。

医者も人間だ、数えきれないほどの患者ひとりひとりに対して発言したことなど一言一句違わず覚えている方がどうかしている。

 

半年以上前である、主治医は私に対し、一般就労は困難なことと就労継続支援A型への利用を快く勧めていた。そのことは私にとって何かと足かせであり、反して甘んじる根本にもなっていた。

 

今日の診察で改めてそこを聞いてみた。

就労支援A型はなにかと困難なことが多いことも事実であると付け加えた上で、「どんな場所でどんなことをしたいか」を焦らずに見つけることが大切だと大層な一般論を諭してくださった。

合う仕事、合わない仕事、合う人たち、合わない人たち

一般で働くことができないとは言われなかった。結局は環境であるという話だ。

直近でこれは困る。月末にある体験発表の内容を書き変えて事業所の職員の方々に通し直すか、嘘を発表しなければならないことになる。(後者の方が断然ラクだ)

 

また、私が約2年で得たものは「社会的な居場所」でもあるらしい。これはとても大切であり、かけがえのないものであろうとのこと。

社会的という言葉はとても重い。

今日は思い出すことが多いが、2年前の私は社会に対して後ろめたさしかなかった。今は、少し違うかもしれない。

 

ただし、睡眠時の中途覚醒に関しては大変おおらかな意見を頂戴した。

たとえば激しい中途覚醒が2日続いたとしたら3日目には眠くて仕方がなく寝てしまうだろうと言うのだ。事実その通りである。

それで帳尻が合わせられるという。これも困る。

今はそれで構わない、しかし結局は環境次第とする以前に私は不眠症状をなんとかして正したい。

自然のリズムに逆らってまずは焦らず不眠症状を改善させてやると強く心に決めた。

明日は休む

日付が変わった。

今日は事業所に朝一番で欠勤の連絡を入れようと決め込んでいる。

理由のひとつは通院だけでかなりのエネルギーを消耗することが大いに予測されるためだ。

近頃は通院日も午後は作業に参加する方針を固めたため大変不本意である。昨日のうちに欠勤届を出さなかったことを悔やむ。

 

だからといって夜更かしをすることは賢明ではない、ただ、眠前薬を飲んでも今夜は効きが悪いのだ。

理由はおそらく昨日の私の発言にある。

 

「迷ったらしない」ことは大前提になったばかりだ。

一欠片の迷いもなく正々堂々と発言した事柄をいたく後悔している。

 

ああ、そうか。

私は、私の中で矛盾に満ちた壁を作っていたのだと気付かされた。

 

気付くことができたのだと、前向きにとらえたい。なんとかして前向きにとらえたい。

 

反面、今夜中に首を吊らなければならない気分になんとなくかられている。なんとなくだ。

 

こんなとき、気軽に相談出来る人間関係も最近は構築されてきた。本当にありがたい。

しかしこんなときにこそ、消息を断つことができたらとてつもない英雄になれるような錯覚は未だなくならない。

 

私は不幸ではない。

不幸ではなければ幸せなのだと思う。

 

何がそんなに不満だというのだろうか。

挑戦することと維持すること

先々のことを思い悩む。

こういった傾向が見られるのは鬱から明けてきている証拠かもしれない。

 

私はおそらく元来、仕事が好きだ。

物凄くわがままなことを書くと、仕事に生きがいを見出したい。今からでもキャリアを積みたい。今からでも専門的な分野でのし上がりたい。

 

しかしそれは躁が抱く幻想に過ぎないこともまた分かっている。

あるいは、2年前にこんなことを考えたられたかというと想像も及ばなかったことだろうと思う。

事業所の利用を決意してから2年が経とうとしている。

 

主治医も家族も保守的であることは大変にありがたい。

たった2年、外での私を見てきただけの事業所関係の人間たちが私にどれほど非人道的な状態が強くあったか、それを繰り返す恐れが強いか、いくら口で説明しても通じない。軽率に一般就労の話などが湧いて出る。

そうすると主治医に対して疑心暗鬼になる。

外来で一般は難しいと念を押されている。

そうすると事業所に対して疑心暗鬼になる。

 

実際、私はどうしたいのか。

就労移行で訓練を積んで開示一般でバリバリ働きたい。

 

これを味方してくれるのは事業所側だ。しかし信憑性は乏しい。

 

なにかと、これまで以上に母親に心配をかけることは決してしたくはない。

そうするとA型事業所の利用を勧められる。

 

A型を毛嫌いするわけではない、ただし、身近な話を聞く限りではA型就労とは一般就労以上に私にとって厳しそうに感じるのだ。

 

目指すところが定まらないため、現在の事業所で身動きが取れない状態が続く。

迷ったら、しない

先日テレビ番組で短時間取り上げられた双極性障害について、注意すべきことである。

「迷ったらやらない」この点にのみ強く共感した。

 

近ごろは、なんとなくであるが「あの時あれを言わなくて良かった」と思えることが増えてきている。

「どうして言ってしまったのだろう」と思い悩むことより圧倒的に多い。

うつ状態の期間中に後悔することを減らせれば何よりなのだろう。

 

こういった精神の病気や疾患はほとんどが原因不明とされている。

取ってつけたように「親が障害の場合確率が上がる」と言われていたが、現段階で統計上遺伝しか考えられないのだろう。

これを聞いた時、遺伝子レベルでの存在否定というものをゆったりと思い出した。

今の私はこどもを産む気もつくる気もない。

しかし暗に産むなと言われているような気がしてならない。

ずいぶん前のことになるが、思っていた。

私のような遺伝子を持った個体は私の代で終わらせなければならないのだ。

何のためにどう使うか

事業所の今後の使い方の方針だ。

この2年はとても早く感じた。これからの2年をどう過ごすかは大変重要であると考える。

12月から軽い鬱状態が続いている。

軽いとはいっても、中には動くことが困難な時もあった。

一般就労やA型事業所など、まだまだ現実味がないことが浮き彫りになる。

 

安定した生活リズムと体力を掴むために継続して通う

 

スタートに舞い戻ったような気がする。

殺していいだろうか

自宅にこもりきりの生活ではなくなって本当によかったのだろう。

しかし混沌としたきっかけも外での業務による疲れだ。

 

テレビからの情報がわずらわしい。

記憶を殺したい。

私の命を間違えることなく消したい。

これだから精神は使えないと言われている場合ではない。

いくらかでも有益にいのちを使い捨てようではないか。

障害者である前に

精神障害を理由に逃げることに違和感を覚える。

逃げる、という言葉では不適切である、この記事に関しては「言い訳にすること」と付け加える。

 

私は精神障害者だと言って開き直ってきた過去、それは躁状態の時に強くあった。

相手が医者だろうと警察だろうと構わない、その時は私が神だったのだ。

 

ひととして。

やってはいけないことはいくつもある。

それを精神障害のせいにすることに、近頃は違和感を覚えるようになった。

 

精神障害者である前にあなたは人間であるということを伝えたかった人がいる。

伝えたところで、考えは平行線であるため受け入れてはもらえない。

私も今は歩み寄る気はない。

 

世の中には健常者の世界と障害者の世界があるという見解を聞いた。

仮にそうだとするならば、障害者は健常者の生活を営んではいけないことになる。

言葉の意図する部分は違うことは承知で、卑屈になってしまう。

 

いま、私は日常で躁鬱病であることをできる限り隠そうとしている部分も出てきている。

だからといって、自力でいっぱしの生活を営めるわけではない。

 

出すぎた真似はしないことが賢明だろうと考える。

頭がいい人、勉強ができる人

これは多くの精神疾患に関していえることとして、真面目な性分のひとがかかりやすいとされる風潮がある。

 

この現象は紙一重だ。

とある当事者曰く、「頭がよくなければこんな病気にはならない」らしい。

事実として、現在利用している事業所には名だたる大学の卒業生が少なくないらしい。

 

ただし、頭がよいからではないと私は思う。

過去、何も考えず勉学にのみ勤しんだ結果、成績優秀とされたものの自ら考える能力が欠如し、路頭に迷った挙句精神を患ったひとは、少なくないかもしれない。

ここは混同されがちあるいは区別が面倒であるため一緒くたにされているが、勉強ができることと頭が良いこととはまったく異なるのだ。

 

勉強だけができたひとすべてを否定するわけではない。少なくとも、そういったくくりの中に私はいる。

在学校のことでネタにされることにもだいぶ慣れたものだ。

在学した学校の名誉のために、在学中から精神を取り乱したのは400人中私ひとりくらいなものだ。

 

勉強ができても頭がよくない人間は世の中に溢れかえっている。

それは国会中継などをなんとはなしに眺めていれば明らかなことだ。

彼らのすべてが精神を患っているかというと、そういうわけでもない。

一概に風潮を見出すことはできないのだろう。

 

生真面目という言葉がある。おおかた、悪い意味で使われる。

生真面目なひとほど精神を患いやすのではないと推測する。

拒食症状?

今週、食欲が極めて少なかった。今なお続いている。

 

私の場合、過食の傾向が強くなることは多々あっても軽い拒食のような症状はまれである。

何かを食べたいと思う、ただ、食べると胸焼けのようなものがひどく、度々嘔吐してしまう。

食べたい意思はあることと念のために町医者にかかったが、猛威をふるっているインフルエンザや風邪の症状は見られない。食べる時のみ、症状に見舞われる。

 

過去、拒食というよりは私の躁的な症状のひとつでまったく食べなくてもパワフルに動けるということが続いた時期があった。(その時期は半年未満で15kgほど体重が減少した)

今は動く力もなくなっているためそれとはまた異なるのだろう。

今更体重を気にかけるわけもない。

気にかけるのならば、まず整った運動をしたいと考える。

 

吐き気はなにかと不便だ。

布団に横たわってうたた寝をする時間が長く続く。