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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

気が張っている

私は元来、オンオフの切り替えが大層下手であり、加えて要領が悪い。

眠っていても仕事や作業の夢を見る。

決まって失敗を繰り返す悪夢だ。

スイッチが入ったら入りっぱなしで、気力より体力が先に限界をむかえ、仕事等が長く保たなかった。

日常生活がそうなったのはいつの頃からだったか、少なくとも小学校高学年の頃にはまだ「日曜の夜がユウウツ」といった健全な症状を持っていた記憶がある。

 

表現を変えるとメリハリのある生活を送ることが難しい。

たとえば離職していた期間はずっとオフの状態だったのだろう。

中で、趣味の範疇で断続的にデザイン業務を担っていた。

請け負っている間は下手をすると寝ることがあまりなかった。

これだけ頑張ったのだからと自らに主張し、勘違いにまみれた満足感を得ていた。

本来、良い仕事というものは質も良くなければならない。

分かっていてもそれが出来た試しはない。

 

このところは「休日」というものが明確に発生するようになった。

休日に何をすることが望ましいのか分からない。

何もせず眠っていることも休日の立派な醍醐味かもしれない。

しかしながら平日と同じ時刻には目が覚める。

完全に、スイッチがオンのままである。

何か、休みであるという本質的な自覚を持てるキッカケが欲しいものだ。

そうでなければせっかく利用を始めることが出来た福祉サービスも長くは続かない。

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大切だった友人

友人が多かったか少なかったか、数だけでは分からない。

少なくとも私が誠実にお付き合いするのにはじゅうにぶんな数の人間と交流を持っていた。

現在よりはるかに多い。

 

中でも高校からの友人で、二十代中頃まで特に親しくしていただいていた女性がいた。

学校は違うが趣味が合い、感動を分かち合えるかけがえのない存在だった。

彼女は出会った頃、未成年の頃から意志をしっかり持ち、多岐に渡る人付き合いがうまく、だからこその悩みを抱えながらも自ら解決する能力に長けているように感じ取れる人物だった。

私は自分が彼女の「特別」ではないことを分かっていた。

分かっていながら、どこか特別でありたいと願っていた。

おそらく彼女の中で友人というものは分け隔てなく特別な存在だったのだと思う。

互いに就職し、私が仕事に没頭し過ぎた頃のことは「あいらが仕事に取られたような気がして寂しかった」などという言葉を、病床の文通で伝えてもらい涙したこともあった。

入退院を繰り返すようになり、その都度、彼女は仕事と家事の合間を縫ってたくさんの手紙を送ってくれていた。

 

十年来の友人ともなろう頃、私の病状は悪化していた。

彼女に対し横暴な内容のメール文書を送りつけたまま、再び入院することとなった。

入院中は毎日、そのことを後悔していた。

彼女から手紙が来ることはなくなっていた。

退院したら真っ先に謝ろうと強く誓い、療養する他なかった。

彼女は、おそらく何度も、私との「付き合い方」について検討してくれていたのだと思う。

それでも限界はおとずれていた。

 

退院後、すぐに詫びる連絡を入れた。

間も無く届いた返事にはこうあった。

 

「もう二度と会うことはないと思っていたのに、ありがとう」

 

胸のあたりがひどく冷たくなった。

十年以上、積み上げ、創り上げた関係も、短いメール文書であっけなく崩れ去る時代になったことと、彼女がいたく言葉を選んでいるような感覚が耐えられなかった。

選ばれた最終的な言葉は

「病気になってしまって、どう接すればよいのか分からなくなってしまった。ごめんね」

 

電話をかけることもしのばれた。

直接話せば、直接会えば、また、あの頃のようにと願う気持ちとは裏腹に、その後複数の友人で集まる機会には何度か恵まれたものの彼女から話しかけられることはなかった。

私から話しかけても彼女のぎこちない間合いと相槌に、もう無理をすることはないと諦めてしまった。

 

そんな風に離れていった友人は多くいる。

そんな風に、離れられるのが怖くて私が連絡を絶った友人はさらに多くいる。

私が気にするほど、気にされていないパターンもあるだろうことは自覚する。

それでも、現在において不自然な交流は避けたいという保守的な感情を持つようになった。

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助演俳優らしき生き方へ

「人生というドラマの主役は自分だ」というようなフレーズはしばしば耳にする。

各々が生きる中で主となるものは己の存在感なのだろう。

シスターや僧侶の世界観は分かりかねるが、どれだけ謙虚に生きる人にも少しの自尊心というものはある。

それを傷つけられること、打ちのめされることはやはり堪え難いことだろう。

 

「あの人は自分が主役だとしか思っていない」

そんな陰口めいたことを聞いたことがある。

諸説あろうが、「その人」は間違っていないと私は思った。

ほんの少し掘り下げる。

自己(A)があり、他者(B)があり、環境(舞台)がある。

これらを仮に、すべての人に当てはめるとする。

するとBから見るAはBとなる。

すなわち自己は主演でありながら、同時に数え切れないほどの脇役をこなしていることになる。

多くの場合が「通行人」や「村人」になるだろう。

この配役に固有名詞が付いた日には跳び上がるほど嬉しいのではないかと私は考える。

「ある人」の人生に深く関わり、敵役、親友役、パートナー役と、誠に勝手ながらそちらの舞台を盛り上げるのだ。

とても個人的な趣味であるが、私は主演よりも助演の方に絶大な魅力を感じる。

主演は嫌でも目立つからだ。

1人でいい、誰かの人生の「助演女優賞」をとることがかねてからの野望かもしれない。

 

はじまりが仮の話であるため、野望が果たされるか否か、明確に答えが出ることはない。

それに「賞」とは第三者が偉そうに付けるものだ。

そういった諸々の点を集めると、やはり人生に配役をふることはかなりズレているというオチになる。

それでも、主役に重きを置くか、脇役に重きを置くかで人生観は変わるだろう。

躁判別の難しさ

私は、自分が「楽しい」と感じる時はおおかた躁状態なのだろうと判別している。

しかしすべての「楽しい」が躁かというと、おそらくそういうものでもない。「楽しい」にもいくらか種類がある。

客観的に見て、一般的な装いができていれば「病的な」躁ではないとしたい。

自分を客観視することほど難しいことは今の私にはない。

 

入院中、自分が楽しくなると周りは迷惑するのではないかと心配だった。

抑うつ状態が続くか、薬によって気だるさを与え、寝たまま物理的に動けないでいることがまだよいと考えていた。

極論、自分は楽しむことをしてはならないのだと戒めていた。

 

7〜8年前、「抑うつ状態(統合失調症の疑い)」という曖昧な診断をされてからしばらくは相応の投薬治療を受け、ある日、なんとなくとてつもなく元気になったと感じたことがあった。

精神病が完治したのだと思い込む他になかったが、それは精神科にお世話になるようになってから初めておとずれた激しい躁転だった。(精神科にかかる前から、環境が変わるたびに躁転することはあったと思われる)

当時の数々の奇行は思い出そうとするだけで命を断ちたくなる。

それほど醜く、極端なものだった。

 

そのようになってはならない、再び自覚のない躁状態におちいることだけは避けたいという思いが、戒めの裏付けである。

 

戒めたところで、の話である。

何を持てば一般的なのか、また、楽しむことそのものは一般的ではないのか、様々な矛盾に差し掛かる。

笑顔になってもいけないとすら考えていたものである。

そう考えることすら、一般からかけ離れた極端な発想であることには気がつかない。

楽しむこと、笑うこと、いずれも人間にはあってもよいことのはずである。

 

そもそも自己で判別できるならば医者はいらないのかもしれない。

病的な思考とそうでない思考の「識別」ができていないため、何かと自ら作る足枷に悩まされている。

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食事と血糖、薬と眠気

たとえば学校において、午後の授業ほど効率の上がらないものはないという所見の書籍を読んだことがある。

食事(昼食)を摂ることによって血中の糖度が上がり、生物学上ヒトとして集中力が欠落し眠気をもよおすらしい。

その書籍にはこんなことも書かれていた。

「朝飯前」という言葉がある。

一般には朝食を摂る前にでもこなせるたやすい事柄などのことを指すが、時間軸上の「朝飯前」こそが、ヒトがもっとも集中出来る限られた時間であると主張されていた。

当時、目からウロコであった。

 

事業所の利用を開始してから、昼食を食べると午後は酷い眠気に見舞われる。

今のところ例外がない。

そこで過去の「午後」を思い返してみた。

 

学生時代は、これでも生真面目な性質なため午後に限らず睡眠不足からの 「居眠り」は常習化していたように思う。

ノートを取っているものの、およそ解読できる文字が書けていなかった。

原因は自宅勉強における予習復習の時間割効率が大変悪いための夜更かしだ。

専門学校時代になると要領の悪さは加速し、平均睡眠時間は4時間ほどだっただろうと思う。

しかしその時期は今まででは最も充実していた。

工場にフルタイムで勤めていた時期がある。

この時は社食などがあり昼食はじゅうぶん過ぎるほどに摂っていた。

しかし特別に「午後」が眠かったとは記憶していない。

そしてデザイン事務所だ。

明らかな睡眠不足から集中力も何もかもなくなった時期がある。

その頃には食事が喉を通らなかったため血中糖度は関係ないだろう。

原因はおそらく勘違い甚だしい過労になる。 

 

思い返したところでこれといって参考になる点が見当たらない。

やはり単純に、社会的生活とのブランクによる環境の変化への順応がまだまだ追いつかないだけなのだろうか。

 

本日は事業所の利用は個人的にお休みだ。

そんな日に限って目覚めが良好過ぎたりもする。

朝、午前中はどんな時でも比較的よいのだ。

問題は午後である。

気候、体調、薬の効き方。

この3点が漠然とした理由として考えられる。

どんな類であっても、精神科の薬の作用、副作用には個人差はあれど身体に大きく影響を与えるのだろうか。

 

次の外来診察までにまとめておくべきことが多くあることに気づくことができただけでも進歩ということにしておこう。

気温差と事業所のこと

体温調整がうまく出来ない。

と書くと大袈裟かもしれない。しかし気分の変動も大きく不安定なこの頃だ。

手汗をとてもかく。

それでも身体は寒い。

身体がほてっているかと思えば靴下、スリッパを履いた真冬装備の足先の感覚がないくらいに冷たかったりする。

実際に体温が高いのかと思っても体温計は平熱を示す。

 

自律神経の問題だろうかと考えていたところ、更年期障害ではないかと言われた。

いずれにせよ不気味だ。

この症状はかれこれ1ヶ月以上は続いている。

 

気分に関しては、たとえば昨日は強迫症状から来る不安で身動きが取れなかった。
しかし本日は比較的穏やかに、日光浴をしている。
気になるものは腕時計の秒針の音くらいだ。

 

朝昼夕の気温差が激しいと、躁鬱病患者は一般以上に過ごしにくい傾向があると医師から聞いたことがある。

事業所の利用者の方々もそれぞれに苦労してらっしゃるようだった。

対人関係を円滑にし、よりよい情報交換をしていけたらと思う。

 

無事、今月から就労継続支援B型事業所を利用することとなった。

生活は大変興味深い。

今まで知り得なかったメンタルヘルス専門誌なども置いてあり驚いた。

なぜもっと早くに利用できなかったのか…と、少し前なら悔やんでいただろう。

現在は、今で遅くないから利用できてよかったと思える。

年齢層も、おそらく病状も事情も幅広い。

できる限り有意義に過ごせたらと考える。

人生30年のすすめ

このところ学生の自殺の記事が多く目にとまる。

何とも表現し難い気分になる。

時代に応じて、その手段を変えて健在するいじめ。

どんなに対策をこうじようとも、それ自体を教育の現場から切り離すことは出来ないという考えのもとで働いているという中学教諭の方の投書を読んだことがある。

 

小学校6年に上がった頃、幼馴染の女の子を指し、「あの子はムカつくから、あいらもこれから無視して」といったことを他の女の子に言われたことがある。

私個人としては微塵もムカつかなかったので戸惑った。

自宅で母親に相談したところ、「私はその子のことが嫌じゃないから、そういうことはしないと伝えたらいい」と諭され、翌朝実行した。

幼馴染の子とも、「無視」を強要してきた子とも円満に生活していった記憶がある。

相談して本当に良かったと大人になってから母親本人に伝えたら「まったく覚えていない」と断言された(無責任)。

 

中学に上がり、自虐体質が強くなっていった頃など、多少の「いやがらせ」などは順番に受けたが、周りは何故、私のようなつまらない生き物をいじめの対象にしないのか疑問であった。

いじめる価値もないのだろうと、とことん自虐的に考えていた。

過去にも記したが、いじめの最上級は「無視」だと考える。

現代ではそれが「既読スルー」という言葉に当たるのだろうか。

スマートフォンという物体がある時点で物理的に何らかの接点があるのだから「無視」とは異なるだろうものの、おそらく、報道には載せられないそれ以上の何かがそこにはある。

 

高校の倫理社会の授業で、自殺の問題が取り上げられたことがあった。

当時の一部始終をまとめた後、教諭は17、18歳の生徒たちを前に断言したのだ。

 

「どんなにつらいこと、苦しいことがあっても30歳までは生きろ。30になって人生が面白くないと思ったらその時に死ね。今は死ぬな。」

 

とてつもなく衝撃的な言葉だった。

 

教諭の歳の頃は当時40代後半から50前後に見え、妻子持ちの貫禄がある方だった。

聞いた時は、学校から自殺者が出たら困るための抑制だろうと偏屈にとらえた。

しかし、何かにつけてこの「人生30年論」は私の脳裏に残り続けた。

 

そして29歳のある日、交際相手と一緒に何気なく入ったバーで、新たな衝撃を受ける。

そのバーでは、足を不自由にされた音楽家がギターを弾きながら歌っていた。

酒の席の話である、すべては間に受けずとも話していたところ、年齢を聞かれ、「今年30になる」と答えた。

「30!まだ“人類”でもないね!」

高らかに屈託なく笑いながらそう言って酒を煽る紳士は、とても楽しそうに、曲をリクエストすると山口百恵の「秋桜」を歌ってくれた。

本当に、冗談の類だったのだと思う。

しかし本当に、それまで十年以上秘めていた「人生30年論」はあっけなく崩れ去った。

 

 

それでもなお、自殺未遂を繰り返すことがある。

これは躁転した時に見られる。

抑制が効かなくなると、目が覚めると病院のベッドの上ということは何度かあった。

もう二度と、ここへは戻らないと決め、初めて自らの意思で前向きに入院したのが昨年末からの約3ヶ月である。

自分を制して、また、堪え難い死別を受け入れて、

生きていかなければならない。

特別的な差別

希死念慮という言葉を知った。

自殺願望とは異なるらしい。

どちらかというと私が常時持ち合わせるのは希死念慮だ(著しく躁に転じている時は除く)。

死にたいというよりは死ななければならないと考える。

これは思春期(小学校高学年)頃から持ち合わせている。

どうやらそういった体質もあるとのこと。

一般にこの考えは常にあるものだと思っていた。

自分の価値観を世間に埋め込んで相対的な思考負担を同等のものだとする偏見から来ている。

一過性のものとして希死念慮を持つことは多いのだろう。

たとえばこれが慢性的なものではなくなったら、どれだけ生きやすいかを想像する。

想像したところで、次には自殺願望に繋がるのだろうと落ち込む。

分かっている。

自分が思うほど、自分には価値も存在感もないのだ。

おそらく自信過剰というものだ。

街中で他人とすれ違う時、出入り口が混雑している時、

間違いなく先を譲る。

「ごめんなさい」と声を出す。

「ここに存在してしまい」、「申し訳ありません」を意味している。

そうしたところで、人混みに紛れればゴミとなることに変わりはない。

 

先日、主治医に抑うつ状態をうったえたところ驚かれたような気がした。

何らかの気分障害ではあるだろうものの、フォースオピニオンも必要な時期かもしれない。

しかし精神科に長く通院して、いったいどうしたいのか、どうなりたいのか、どこまでが自我でどこからが障害なのか、

もはや分からない。

障害と呼ばれる範囲をなくそう、治したいと考えていた時期もある。

ほぼ同時に、それは差別的な意味を孕んでいるのではないかと考えた。

そう考える時点で差別である。

私が差別される分には構わない。

むしろいくらでも排除していただきたい。

基本的人権の在り方が叫ばれているように感じる昨今、旧憲法の社会を体験していない世代としては先人たちに死をもって償うしかないほどに「存在」の意義を見失っている。

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喫煙に関する医師の所見(暫定)

躁転のことと抑うつ状態のことをお伝えしたところ、「1人で過ごせそうか」と聞かれた。

これはおそらく入院への危険信号だ。

約2ヶ月やってきた。なるべくそれは避けたい。

現在の主治医には長くお世話になっていて、今までにお会いした精神科医の中では一番、治療に慎重なかたである。

眠れば落ち着くという発想が寝付けないこともあるという落とし穴に差し掛かり、頓服薬としてクエチアピンという薬を処方していただいた。

これは眠前薬としても服用している。

即効性はないが、気だるさをもよおす作用(副作用?)があるため、躁転時に服用とのこと。

気休めでもありがたい薬だ。

 

また、禁煙についてお聞きした。

現行の治療方針からニコチン依存についてまで、丁寧に説明していただいたものの、要約すると気分障害の波に応じて、特に躁と感じられる時、禁煙が絶大なストレスとなり危険な行動に及ぶ可能性があることから現段階では勧めていないとのことだった。

内科医との綿密な相談が必要であり、たとえばニコチンを摂取するシールを貼るパターンの場合、タバコを吸うという「行為」自体への依存は抜けず過剰なニコチン摂取により急性症状で突如として倒れることがあるなどの留意を示された。

後述に関しては今の私ですら想像がつく。

いずれにせよいたって保守的な考えに基づくものであることが分かる。

 

やはり節煙したいとぼやくと、

「火の元にだけは気をつけて」と何度も念を押された。

抑うつ状態っぽい中で社会風刺

これもまた急なことで、日中は普段よりも長めの時間、散歩をしたり運動を繰り返したりと活発であった。

気分は荒んでもいなかった。

夜、ご近所にお邪魔し、しばしの団欒をごく普通に楽しませていただいた。

帰ってきてからである。

どうも気だるい。

気分は普段に比べ落ち着いている。

おそらく、落ち着きすぎてすべてがどうでもよくなっている。

躁転時のどうでもいい感覚とは全く違うものであり、出来ればこのまま消え去りたい感覚だ。

睡眠をとれば確実に気分は変わることは分かっている。

しかし寝付けない。

消えたい、死にたい、虚しい、憂鬱な気持ちばかりがくるくるともやもやと頭の中をめぐっている。

穴があったらではなく墓があったら入りたい、などと多少うまいことを考えても表情も気分も変わらない。

疲れてきたのだろう。

何も悲しくはない。

ただ虚しい。

アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたいというフレーズは病棟で人気があった。

 

ところで昨今、偏屈に世の中を見ていると痛く実感することがあった。

「あたりまえポエム」というものが流行しているらしい。

そのすべてを読んだわけではないから断定はできない。

しかし報道で取り上げられるもののすべてにおいては、少なくとも五体満足のヒトにとっての当たり前でしかない。

茶化すような取り立て方しかされていないが、その当たり前ということの素晴らしさの本質を承知した上で取り扱っているのか否か、

もはや憤りすら感じる。