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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

役所で感じたこと

役所関連の手続きが重なるのはこの季節である。

9年前、初めて精神科に入院したのが真夏であったからかもしれない。

自立支援の更新手続きと障害者手帳の再交付手続きをして来た。

役所の職員さんがとてもとても親切であると数年前から特に感じる。

私は一見、何の障害もない健常者である。

それにも関わらず、特有の書類を頂戴しているという点で優遇されることがしばしばある。

逆も然りで、たとえば運転免許証は数年前に施行された法律に基づき返納せざるをえなかった。そもそもがほぼ、ペーパードライバーではあったが何かと不便である。

しかしその分、相応の「サービス」を利用することが、おそらく、許されている。

何ヶ月か前まで、このことが後ろめたくて仕方がなかった。

今は、感謝の気持ちを忘れずに利用させていただこうと前向きになってきている。

近い将来、人を支えられる人間になりたいと強く願う。

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鬱病の鬱状態との違い

気分が落ち着かずそわそわする。

そしてひどく落ち込んでいる。

切っ掛けが何かは思い当たらないものの、激しい躁状態でいた7年前の夏のことが鮮明に思い起こされる。

この際だから落ち込んだ状態、比較的冷静な状態でひとつ自白しておこうと考えた。

 

…しかし、単語をひとつ打ち込んだところ、複数の事件が同時に一気に思い起こされて大変耐え難くなった。

これが双極性障害の特徴的な症状のひとつであろう。

あれは一体なんだったんだ。

病気だったのだ。

たとえば、最近、外に出ることや人前に立つことが実は悪くないと考えていたりした。

しかし私の場合、その根本にはかなり病的に「ある事柄」にこだわっていたのだとようやく気づく。

具体的な単語を打ち込むと、おそらくダメになる。

本当に、心から、私のことを殺したい。

せめてそれ以上になってはいけない。

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言葉を選ぶということ

精神科にかかっている人たちの集まりでは、雑談の中でも適切な言葉選びが必要である場合が多いと思う。

様々な境遇の方がいらっしゃり、これは精神科に限ることではないが互いにそれぞれの全てを語るわけではないため決断が難しい。

断片的な情報から憶測することがここでは特にあってはならないような気がする。

精神科に、と取り立てて考えること自体が失礼なような気もしてくるが、多分に私にも気を遣われている雰囲気を察する。

連絡先の交換は禁止こそされていないが、誰ともしていない。(禁止されている場所もあると聞いた)

 

デリケートな話題になると私にはほぼ語彙がない。

どこまで聞いてよいものかも分からないし、聞いたところで対処法を持つほどの知識はない。

表現がそれこそよくないが、人によっては一方的に病状などを語られることもある。

特にそんな時、特定の人に対し失礼なことを言ってしまったのではないかとひどく不安になることがある。

利用者の中では若い部類に入るものの、私自身いい歳なのだからと情けなくもなるし、そもそもが年齢でことを片付けられる歳でもない。

もしかしたら軽躁も徐々にか、一時的に治まってきているのかもしれない。
なにせ私の場合病状は分刻み、秒刻みで変わる。

大まかな波はある中、少しずつ、テンショングラフは下がってきているような気もする。

このウェブログには比較的好き勝手書いているが、外に出れば私はただの小心者だ。

 

結果的に見つからなくとも、適切な言葉を探すこと自体はおそらく大切である。

それは時間を要するからだ。

その時間に、何らかのことを汲み取れるかもしれない。

反射的、あるいは突発的な言葉の事故が昔に比べれば減ってはきていると、気持ちを落ち着かせるしかない。

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倦怠からの出発

6連休あり、絵に描いたかのように生活リズムは狂った。

億劫でたまらないところを、時間にはかろうじて余裕があったため作業所へ出向き、始業前の十数分、利用者の方々と談笑し気分は軽やかになった。

連休明けがこんなにも億劫になることを学生時代を踏まえても経験した記憶がない。

やはり、というのだろうか、著しい躁状態でない限り、休み明けは億劫になりやすいのだということを身をもって知った。

生活リズムを乱さないためだけにも、今の私には福祉「サービス」の場が必要なのだと寛大に考えることにしようと決めた。

 

我々が利用する場には、福祉や看護を学ぶ学生さんが割と頻繁に実習や研修でおとずれる。

今日も女子大生がいらしていた。

おそらく作業時間外には職員の方との話し合いや指導があるのだろう、しかし彼女たちは作業時間には利用者と同じ作業をすることになっているようだ。

私が学生だったことなど一昔以上前の話であるにも関わらず昨日のことかのように感じる節が強いため、緊張している学生さんと話をすることは面白い。

何を話すというわけでもないが、私は積極的に学生さんに話しかける方だと思う。

昔からの性分である、集団の中で誰かが孤立している雰囲気を放置することが出来ない。

おそらくこの辺りがいらない気遣いなのだろうとも考える。

しかしどんな場でも「おせっかいな人」は1人くらいいてもいいのではないかと、自分のことを認めてあげなければなんとなく可哀想だということに最近気付いた。

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友人と夏休み最終日

実に4ヶ月ぶりに電車に乗った。

たまたま連休最終日になっただけで、今日は前々から友人と会う約束をしていた。

駅には人気アニメのスタンプラリーの看板などが設置されていて、夏休みなのだなぁとなんとなく感じた。

地元の駅から30分ほどで県外に出る。

満員電車でもなければ、比較的落ち着いていられる。

通勤電車など、今では想像もしたくはない。

いつか、利用する日が来れば幸いなのかとぼんやり考える。

 

友人のことを書く。

彼女は長年、鬱病パニック障害に悩まされている。

出会ってかれこれ10年以上経つが、たまに長電話をしてはお互いの病状や悩みを訴え合うことができる唯一の存在である。

彼女は私が見るに、とても辛抱強い。

話を聞くと、たとえば私だったらと想像するなら「キレて」いそうな事柄を度々耐え忍ぶ。

そして後々になって内向的に爆発することが多い。

そういった性分もあってか、出会った当初から何年かはあまり親密ではなかった。

何らかの拍子に彼女のことをひどく怒らせてしまうのではないかと怖かったのだ。

これは「鬱病」というものに対して私が理解を持っていなかったことを表している。

10年以上前の「対、鬱病マニュアル」など到底適切ではない。

私も今でいう抑鬱状態におちいることがしばしばあり、そのことを「鬱状態」と受け入れることもせず、うまく周りに打ち明けられずに長い年月を過ごしていた。

そんな時に頼りにできたのは対人関係に奥手な彼女だけだった。

 

彼女と会って話をすると、それはとても楽しい時間になる。

ここ数年の彼女の、おそらく症状のひとつであるが、ひどく時間を見誤ることがある。

今日も例に漏れない。この文書も彼女のことを待ちながら入力している。

何度も連絡を入れてくれるので心配はしていないが、文面から察するに当人には罪悪感しかないだろう。

しかし私は、彼女のことを待つ時間がかなり好きだったりする。

うまい表現が見当たらなくも、楽しみを大切にとって置いている貴重な時間のように感じる。

今日は改めて、正確には初めて、彼女から貰う時間が嬉しいということを伝えてみようと思う。

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戦争を考え過ぎて眠れない

「特攻」から戦争(太平洋戦争)の片鱗を紹介する番組を視聴した。

 

今のところ、集団自決が望ましいという考えにいたっている。

どんな経緯をたどったのかもはや思い出せないほど、思考はおそらく躁に転じた。

少しずつ落ち着いてはきたものの、長時間瞬きをしていないことを自覚している。

私は、戦争の悲惨さを語る一般的な教育には積極的に取り組んできた。興味もある方だと思われる。

しかし祖父母からは直接戦争の体験を聞いたことがない。母も、ほとんどないという。

伯父伯母からはあっても数えるほどである。

唯一、私が誕生するより前に他界した祖父が捕虜としてロシアに置かれた時にバイカル湖が美しかったという話だけをしたことがあるということが印象的だ。

認知症になった晩年の祖母は、しばしば空襲に怯えているように錯乱することもあった。

語り部になるということが計り知れなく苦しいことなのだと感じる。

もう1人の祖父は身長が低かったために軍人になれなかったと聞くが、現在真相を知るすべはない。

戦後間もない生まれの父は12年前他界した。

 

知りたいと思う動機は知らないと怖いからである。

番組では「これが戦争」だと言い切っていたが、まだまだ「想像できないほどの戦争」がそこにはあったのだと考え続けて止まない。

私の場合はおそらく考えてしまうことを無理に止めようとしない方が負担にならないのだろうとは最近分かってきた。

それでも、今は考えが止まないことが異常なほどツライ。

近隣住宅の生活音だということは分かってはいるのに、それらがおよそ幻聴かのように襲ってくる感覚がある。

頓服の精神安定剤の量を調整しようと試みる。

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命の価格

今日はなんだか元気ではない。

身体が気だるく、とてもユウウツである。

それを迎え火行事などのせいにする私はどこか宗教じみている。

神仏や霊魂など、到底信じない。

私がとても困った時に、そういったものの因果を感じたことがないためだ。

生存しているという事実のみから、護られているという発想をしなければならないのかもしれない。

しかしそのために必要な理屈はなさすぎる。

逆に、たとえば死んで差し上げたら神仏はお喜びになるのだろうか。

「生贄」という文化は衰退してきたが現存するだろう。

こんな事柄を入力している時点で到底ばかげている。

 

私が死んでも代わりはいくらでもあるのだ。

そんなことは常に思い続けている。

それは私に限った話ではない。

どれだけの著名人であろうと、いつかは姿を消す。

その後釜など、驚くほどたやすく誕生するものだ。

今は半ば騙された感覚のある金の問題で苛立っているのにも関わらずひどくユウウツで、臓器代などを含めたとした場合の命の値段にしてはおそらく安いと思われる額に対し、命を投げ出すくらいのことができそうな錯覚におちいっている。

人間の身体を「物体のみ」とした場合の値段は1体3000円ほどであるらしい。

これは小学校の道徳の授業で聞いた話だ。

課題は命に値段をつけることができるか、といった内容だったが、私には生物の価格の方が衝撃的であった。

 

 

私が死んでも代わりはいくらでもある。

 

この1文を声に出して言った時、命の価格が分かったようになったこともあった。

今はあまり見えてこない。

それくらいユウウツである。

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対象への自意識

「自意識」という言葉は使わずにウェブログを書いてきた。

正直なところ、意味がよく判別できないためである。

 

たとえば「自我の芽生え」というと、幼児が自己を周囲と区別し、自己の存在を認識しだすことだと想像する。

「自意識」となると、もう少し先におとずれる、自己と周囲との差別化をはかることなのではないかと思うことにする。

一般的な意味合いは違う可能性が高いことは承知だ。しかしこの文書において、この言葉をだいたい、こんな意味と置き換えていただきたい。(これだから立派な辞書が欲しいと願い続ける)

 

私には3歳下の弟がいる。

そのため自我の芽生えとほぼ同時に自意識の発達があったように感じる。

親の注意をひきたいという純な感情である。

幼少期はことあるごとに、実弟にいやがらせをしていた記憶がある。

一般によくある現象であろう。ただどちらかというなら、大袈裟だったようには感じられる。

思春期において、私は例外に当てはまることなく「自意識過剰」と表現できる状態に陥っていた。

自分のことが嫌いで仕方がない。

客観的に考察して、勉強が出来なかった方ではない。

運動も、部活動内では最も劣等ではあったが、部活動そのものが優秀であったため、他の追随を許さなかった。

遅刻欠席なし、芸術分野においてもそこそこ活躍していた。

それなのに、自己に対しては劣等感しか抱くことができない。

ある種、現在たまにおとずれる誇大妄想とは真逆の状態にあった。

そんな時に、実弟のことを甚だしく排他していた。

ほぼ同時に考えていたことが、同じ遺伝子によって構築された人格を別だと認識していなかったということである。

私は私のことが大嫌いで、極めて私に近い何かで出来ている弟のことも大嫌い。

性格はまるで違った。しかし存在そのものへの認識がまるでなく、今にして思えばそれは人権侵害の域にも及んでいた。

「自意識」を実弟に当てはめていたのだろうとも思われる。

 

そんなところから、親が子を殺す、子が親を殺すといった事件の背景にある片鱗へ深い共感を覚えてしまうことがしばしばある。

私は先々、万が一にも子どもを生み落すようなことがあれば、間違いなくその人格に「自意識」を当てはめ手にかける。

これは現在の強迫観念かもしれない。

しかしあまりにも鮮明に心理を構築できてしまうため、具体的な切っ掛けそのものを起こさないよう、戒める。

この考えははっきりと間違っている。

間違っているとわかった上で、自分の子どもは自分以外の何ものでもないのだ。

 

近年、実弟との適切な距離はようやく構築されて来たように感じる。

実家を出て10年になる彼は年に2回ほど帰省する。

その10年でようやく、何らかの信頼関係は生じつつあるように感じる。

そうすると、子どもに対する強迫観念めいたものを払拭するためにも最低10年かかるのだろうと、ほとんど他人事のように考える。

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先導者の憂鬱

おそらく、ほんの少しでも調べれば事実は明らかになることであろうが、勝手な憶測をする。

史上に名の残る先導者、預言者、独裁者などと呼ばれる人物。

彼らは、ほぼ例外なく精神障害者だったのではないかと考える。

彼らには人並みはずれたカリスマ性があり、他の人とは違う何らかの「珍しい能力」が備わっていたのだ。ただしそれは人徳とも呼ばれることもある。

しかしその「珍しい能力」とは、たとえば幻覚症状や幻聴症状だったのではないだろうかとここ何年か考えている。

医学が追いついていなかっただけの話だ。

 

現代において、後世に名を馳せそうな首脳や組織が少なくないような気がする。

ある意味、激動の時代である。

逆に時代とは時とは、常に激しく動いているのかもしれない。

ただ個人的にやらなければならない目先のことは、先祖参りだけであることが甚だ億劫である。

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強迫観念とストレス

強迫症を受け入れた方がよいと第三者に勧められた。

大変嬉しく思い、実行していきたいと考えた。

 

本日は4週に一度の通院だった。

睡眠を良質にするために薬の調整をしたいことと、希死念慮のことを診察にて話した。

私が通う病院では本人、あるいは親族の診察がなければ精神薬を処方していただくことができない。

時間はかかるが安全である。

 

現在の私が軽躁と診断されるため、睡眠には時間を割かなくともある程度の活動が可能であり、長時間睡眠を求める方が難しいという話を頂戴した。

軽躁の自覚はあるが、実は忘れかけていた。

極度の躁状態であると、眠らなくても食べなくても信じがたいほどに動けるのだ。

診察では伏せた、と表現するより言い忘れたものの、ここ1週間ほど、偏食がちである。

少しでも注意しながら生活しなければならないだろう。

また、B型支援へ積極的に通っている旨を伝えたため、現段階で薬の副作用を利用して身体に気だるさを与えることは酷であると主治医は考慮してくださった。

規則的に活動しているという点では、過去約7年の私の状態に合致するパターンはない。

結果、睡眠時の頓服薬で自ら様子をはかるようにということとなった。

 

希死念慮とは、私の場合なのだろうか、強迫観念、強迫性症状、強迫症のひとつであるとこの度断言された。

それを実地的に改善させる治療法もあるが、成功例はなかなかないとのこと。

思考が希死念慮を通過したりされたりしている時が、ある種のストレス発散になっているといえるらしい。

これを抑えると、発散されないストレスにより別の症状が現れることが大いに予測され、そちらの方が体質に合わない可能性が高い。

私の場合、「こだわりが強くなる」のだそうだ。

あながち間違いではないような気がした。

 

受け入れ、耐えることが発散になる。

矛盾しているようにも思えるが、「死ぬ想像をする自分の想像を抑える必要はない」ことの理解に初めて近づけたような気がした。

 

主治医がみれば、どう装おうと私は「躁鬱の人」である。

今後、物理的に動けなくなる時はまた来るという注意をなくすことはできない。

しかし今の状態であれば、最低限必要な危機管理として素直に受け入れることができる。

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