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理刹主義-躁鬱病と診断された女-

昭和生まれ、社会生活より閉鎖病棟生活の方が長い。病的被害者ではなく社会的加害者の自白。

環境と病

環境に慣れていなくてはならない時期は過ぎている。

実際、とうに慣れていると自負する。

 

慣れたからこそである。

 

感覚が「躁鬱病と診断される前」と似通っている気がする。とことん、悪い意味で。

気が付いているだけよしとしなければならない。

 

たとえば周りからの評価を必要以上に気にする。

たとえば何事も私がいなければうまくいくのではないかと存在を誇張する。

たとえば死んだ方がよいのではないかと画策する。

たとえば今すぐに天災に見舞われればよいと祈る。

たとえば眠りたくても眠れない。

 

本音を出せばすべてどうでもよい。

どうでもよくなった上で、チラチラと心地の悪い無意識が働く。

 

眠らせてしまえばよいだけの話だ。

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心身ともに動かす

そこそこユウウツな中、身体を動かすと気分も動くことを実感した。

 

眠る日曜第2週を送りつつあった午前、簡単な家事ならできる範疇であったため先週よりは断然に軽傷ではあるものの、近隣の生活音がやたらと耳障りに感じ身体が重くだるかった。

 

そんな今日は近場の公共施設で趣味のサークル活動をしている方々の展示会があることを広報誌で知っていた。

このまま寝転んでいては気分が重たいまま、重たくなる一方だと考え、ゆったりと時間を使って支度をしてから出向いてみることにした。

 

会場はなかなかの人だかりで戸惑ったが、日光を浴びたことが作用したのか気分は思いのほか軽くなってきていた。

絵画や手芸などの作品を眺めて、休日を作ってこんな活動をすることも悪くないと思えた。

実は私は幼少の頃から絵画が得意な方である。しかし自宅で一人ではなかなかその活動をしない。

参加費は高いところでも月千円ほどであった。工賃でまかなうことができる。

 

軽いスポーツをするサークルの体験にも参加させていただき、人との交流も楽しむことができた。

 

気だるくても動ける休日には心がけて外出して、心身のバランスを整えていこうと画策する。

しかしこれからの時期は早朝の涼しい時間帯に散歩をするくらいの「朝活」止まりだろうか。

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できると思ってはいけない

ただの偶然で、1日に非日常的な行事が重なることになった。

幸い時間帯が異なる。

 

順調に遂行できると思い込んでいだ。

 

周囲から諭され、多少落ち込み、見直した。

この思い込みは良くないものだと考え直している。

 

当初はたった1日なのだから、1日くらいなら体力は保つであろうという根拠のない過剰な自信があり、さらにはこういった特殊な環境に遭遇したときに落ち着いて行動するための訓練になるとさえとらえた。

 

 

しかしそれを遂行できるのならば、

 

私は今ここにはいないのだ。

 

 

できない部分を補うための継続をしているに過ぎない。

仮にその1日をなんとかやり過ごしたところで、翌日、あるいは翌々日以降に反動が来ることは明白である。

非日常的な人々との交流は躁転に繋がりがちだ。楽しさあまって疲労困ぱいといったところだろうか。

 

自ら体調を悪化させる必要などどこにもない。

優先順位の問題だ。

今の私にもっとも必要なことは体調管理の継続であると考えている。継続を継続できなければまるで意味がない。

2つの行事は普段にない気を遣うことと、継続を崩すきっかけになることが目に見えている。

 

無理をすることと頑張ることとは違うと考えてはいる。

それに関しての納得できる答えは今のところ出ていない。

今回に限り、頑張ってどうにかなる事柄ではないことが明らかであったのにも関わらず、そこに自力で気づくことができなかった。

 

少しであろうとも、確実な無理を「できる」と思ってはいけないのだ。

 

無理は継続しないどころか、それまでの継続を破壊する。

 

日にちが異なればいずれも参加したい行事であった。

二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉が重くのしかかり、結局は割と重度な躁状態であることも受け入れることができた。未然に暴走を防ぐことができそうである点のみ評価対象になる。

 

できること、できないことを事前に把握する習性を身につけていかなければならない。

対人“安堵”症

不安を不安と捉えない術を私なりに見出してきているかもしれない。

具体的には不安感をそのまま一度受け入れ、どのように不安か考察した上で放置する。

何ヶ月か前にはなかった、できなかった発想である。

 

今後、不安を放置することができなくなる時がくることも予測される。これも一種の不安だ。

しかしそれを考えたところでほぼ仕方がない。

 

今、私の気分とは比較的、比較せずとも、過去から信じがたいほどに自由になっているのだと思う。

これを常時あるものとすればとてもラクだ。

医師はこれを躁状態と呼ぶかもしれない。それでも問題は起きていない。

 

根拠となり得る事柄が、外で人々と接することである。

私自身、元気すぎるのではないかと自覚するとき、何とはなしに周囲のひとたちに直接聞いてみる。聞いてみることができる環境にある。

「にぎやかでいいよ」、「楽しいよ」などと言ってもらえる範疇であると安心することができる。

ただし時と場合は最低限わきまえることとする。

 

専門的に症状をすべて把握するわけではないが、俗にいう「対人恐怖症」とは真逆の症状なのではないかと感じた。

私は間違いなく、周りのひとたちに存在を与えていただいている。この上なく感謝しなければならない。感謝を忘れてはならない。

 

「恐怖」のみ端的に切り取って考えると対義語が見当たらない。

「恐れない状態」の反対を主観で探すなら「解放される」や「快楽を得る」、「安心」、「安堵する」といった雰囲気になる。

語呂がよいという理由のみで、既に存在するのかは別として「対人安堵症」という言葉にたどり着いた。

その事柄にとらわれている部分が強いため、何らかの症状であることをはっきりとは否定できない。

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眠る日曜

朝、突如としてとてつもなく気だるかったためほぼ一日中寝ていた。

これが日曜でよかったと安堵するとともに、明日以降への不安も拭いきれてはいない。

 

反動が来るときは本当に前触れがない。

これを先読みすることができない点がこの頃最大の課題である。先読みする手段も糸口すらもない。

 

不安があるとしたところで、身体が動かなければ休むしかない。

しかし1日で休息できた感じもある。明日復活していればこれとないラッキーだ。

 

ここ1年の体験から、夜に長時間の睡眠をとれば翌朝は信じられないほどにスッキリしていたことが多々ある。

まだ気だるさも残るため、おとなしくしていることがおそらく得策だ。

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特別な努力ができるのか

「一般就労」

 

 

この言葉にいくら翻弄されてきたか分からない。

10年遅れた一般的な社会生活を取り戻すためには何が必要か。

並大抵の努力では困難だ、という言葉ですら足りないほどの努力が必要であることは分かりきっていたはずだ。

 

「開示雇用」という言葉も一時は魅力的に感じたりもした。

世の中、嫌な企業ばかりではないという障害者雇用のある会社に勤めるひとの話を聞いたり、就労移行支援の学習会に参加したりする中で幻想を抱いたりもした。

 

今からでも、取り戻せる。

 

そんな根拠のない自信がどこかに満ちていた。

 

しかし考えてもみよう、健康体のひとがたとえば30代前半で新たに福利厚生の整った環境に就けるのか。

転職ならまだしも、社会人経験はほぼない。

 

なかなか絶望的である。

 

精神疾患を持つ30代前半の女の場合など、本来考えるまでもないことである。

身の程をわきまえろという話だ。

移行支援では非開示を目指す方も少なくないという。それが社会の答えだと私は思う。

 

日本社会では暮らしていけないと考えていた時期がある。

だからといって、語学に長けているわけではない。

日本に住まうしかないのだ。

 

いくら努力しても何ともならないこともある、それは10年前に身をもって知った。

努力の方向性が間違っていたのかもしれない。では具体的な方向性とは。

 

社会保障のないパートタイマーとして働くことを目指す。

これも立派な社会貢献だ。

きっと生活が不規則になりがちだ。どう整える。

 

派遣社員

今までに積まなかった社会経験をゼロから始める。

いつ、どのように始められるというのだ。

 

並大抵ではない努力とは具体的にどんな努力だ、答えてみろ。

 

様々に考えを巡らせ、問い詰める。

 

私には、本当に何もないことが鮮明になる。

 

現実味のある社会復帰とは私にとって残酷でしかない。

特別な努力とはおそらく、無理をすることになる。それでは本末転倒だ。

医師からの承認

今日の通院では私自身、いつになく落ち着いていたと思う。

自宅での座禅をする時間の効果であるわけはないが、この天候の変化の中、私は私でよく保っていると思われる。

 

診察で決まって聞かれることは睡眠時間と食欲についてだ。

睡眠の時間自体は9時間ほどとっているが、中途覚醒もあり実際に睡眠している時間はそんなに長くはなく、良質ではない気がする。

食欲は抑えている(抑えられる)程度であり、1〜2kg増えたり減ったりを繰り返している。

おそらく一般的な女性が気にするような食生活のレベルには達していない。

これらの事柄に関して改善するよう促されることはこのところはない。

 

就労支援についての話も出る。

規則正しい生活が送れるようになったことと居場所を得たことが私にとってとても良い方向に作用している。

それが本当に良かったと思っていると、医師は今までに見たことがないほど親身な表情を浮かべた。

ちょうど1年につき面談がある旨を伝え、先々A型を目指したいと考えていることを明かした。

医師は大層穏やかに「いいと思いますよ」と肯定した。

さらに「もっと早くに紹介できていればよかったと思う」と付け加えた。

私の気分が向かなかったのだから、今がよかったのだろうということを伝えた。

 

現在の主治医になってから8年が経とうとしている。

父親世代というには到底若いが年齢不詳なため、親戚にでもいそうな雰囲気を感じずにはいられない。

それでも2〜3年前には別の医師を探そうとしていた。病状が一向に変わらなかったためだ。

医師にも得意不得意があるだろう、躁鬱病に特化した精神科医を求め、国内ならばどこへでも行ってみる覚悟を、その頃は家族までもがしていた。

 

何とはなしに強制入院が立て続き、そんな話も1年前には既に風化していた。

 

今の私の考えはこうだ。

 

薬も病院も、保険である。

私自身が落ち着こうとしなければ薬は効かないし、用量を守らなければ自立支援からの金銭も無駄にしてしまう。

また、落ち着こうとしたところで効かないときは効かない。それはたとえば、鎮痛剤が生理痛に効かないことがあることと同じだ。

病院へ行くと主治医に会える。(ついでに待ち時間には漫画本を集中して読める。)

困ったことがあれば相談した上で、できれば良い報告をしたい。いつも複雑な表情をしている主治医に、今日のような穏やかな顔をしてもらいたい。

だからといって私自身を偽ることはしない。これらは保険に過ぎないのだから。

 

新たな医師との信頼関係を築くことより、現在までの経緯を熟知されていることと最寄りの精神医療機関であるということだけで、保険としてはじゅうぶんすぎる。

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1年の使い方

福祉サービスを利用し始めてから1年が経つ。

それまで、何らかの理由が重なり市町村の障害者支援制度を知ることがなかった私がこのサービスに出会い行動に移したことはとても大きな変化だった。

 

10年前に社会に出た時、当時の私にとっては耐え難い、今でいうパワーハラスメントの類を受け続けていたのだと思う。

ほぼ不眠不休で文字通り必死に仕事の勉強をしたところで思い描く未来、ごく平凡な二十代の女性らしい充実した生活はおとずれなかった。

 

通り過ぎていったのは思いもよらない現実である。

閉鎖病棟での生活と引きこもり生活、躁転と気づかない中で、高校時代からのコネクションによるパートタイム勤務も長くは続かず再入院は長引いた。

退院しても引きこもり、具合が悪くなっては入院することを繰り返していた。

 

私が居てもよい場所は精神科の閉鎖病棟だけなのだろうと思った時期も何度もあった。

 

そんな私が、今ではいくらか、胸を張って街を歩くことができるようになってきている。 

規則正しい生活などの当然の事柄もできていなかった一昨年までとはまったく違う。

この1年は振り返ればあっという間であった。

 

たった1年であるものの、ひとの根本とはたった1年で変えることができるのだという体験に結びついた。

 

今後の目指すところをより明確にし、福祉と薬に頼りながら次の1年を過ごしたい。

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悟りの心得に学ぶ

ハッキリと記述して、今の私は仏教そのものに興味はない。

仏壇に手を合わせることくらいはしなければならないのかもしれないが大層気まぐれであり、一般的な日本人のようにクリスマスにはワクワクするし、「断食」ダイエットといった語呂も嫌いではない。食物にもこだわりはない。

 

大事な点はどんなひとから、どのような精神状態のときにどのように話を聞くかなのだと思う。

 

悟りが何たるか、私の持つ語彙では表現ができない。

ごく一般的に「無心になる」などというイメージがあるかと思う。

人々は簡単にその言葉を使うが、どうやら無心になることなど人間には到底不可能であるらしい。

 

考えがある、欲があることはひととして当然のことであり、それが皆無になることなどあり得ない。

まずはこれを心得る。

 

そうすると、たとえば浮かんで来る考え(夕飯は何にしよう、あの時ああしていれば、明日のプレゼンが不安だ、等)をあるがままに放ったらかしにするのだそうだ。

私の考えはここにあるだけであり、すべては目に見える周囲の一部である、そうなってくる(のだそうだ。)

もっとすれば自我の存在はなく、周囲が自我そのものになるという。(意味が分からない)

 

不安を取り除きたい、悟りを知りたい、無心になりたい、さまざまな考えが巡るうちは、それらの考えにとらわれることになる。

とらわれていればいつまでも無心にはなれないし、悟ることはできないし、不安を取り除くことはできない。巡らせてはならない、放っておくことである。

 

何事かが不安であれば不安であるのだと認識してから「また不安感が来ているなぁ」などと思い放ったらかす。するとそう時間もかからないうちに割と「どうでもよい」となってくる。それがよいのではないかというのが私の解釈だ。

不安がなくなることなどない。

命がある以上、それがいつ、どのようについえるのかなど誰にも分からないのだから。

 

少し前の私は度々、いつどのように自害しようかという考えに病的にとらわれ続けていた。

近頃ではその考えそのものが「くだらない」とも思える。

 

 

叔父から話を聞いた時、私の中で何かが変わった。変わってきている。

 

彼は仏教徒でも何でもない。

特記することがあるとすれば、やや風変わりであるということくらいだ。

日常的に座禅をしているらしい。

口語化された叔父の悟りについての話は私にとってとても魅力的であり、私はそれを私自身の体験にしたいと望んだ。

今後自宅で座禅をしたり、近隣の寺院での座禅会などになら参加してみたいと思う。

 

40分間、足を組んで目を開けてただただ座る。(この時間は1本の線香が燃え尽きる時間であり、一炷[ちゅう]と数えるらしい)

この上なく贅沢な時間の使い方だとも思う。

 

たまには死ぬ考えのみにとらわれることもある。

しかしたまには、前向きにどうでもよい人生を過ごすことも悪くないと思えてきている。

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妄想への対応、覆る持論

B型へ通所しているとさまざまな症状を抱えた方々と日々交流することになる。

ある意味で特殊な環境にあることを近頃の私は忘れがちであった。

 

私を含め、それぞれのひとがそれぞれの症状を持っている。種類も程度も様々に。

中でも、明らかに病状による妄想が強く出ている方には少しは気がついていた。

そんな方に対し、私は話を聞いた上で私自身が翻弄されないことを前提に「妄想」の話に合わせていた。

そうすると一緒に楽しく笑って過ごせるからだ。

 

私は精神科医でも精神保健福祉士でもない。

 

ひとりのひととして楽しく過ごすために、最後の入院の時から妄想への対応はおおかたそんな風だった。

 

しかし最近になって、妄想の症状ではないと思っていたひとが明らかに妄想の話しかしていない時があることに気がついた。

そのひとのことを、私はしたっている。

医者でもない私は周りにいる人間の中のひとりとして、そのひとの病状が少しでも快方へ向かうことを強く望む。

そこで手軽に頼ったのはインターネットの情報であった。

 

いくつか信ぴょう性のありそうな記事を読んだところ、どうやら妄想に話を合わせることはそのひとにとって後々によくないらしい。

妄想に話を合わせると妄想は加速し、おさまらなくなるのだそうだ。先日は実際にそうなってしまった。

かといって真っ向から否定することもよくないとある。これはなんとなく分かる。

 

いったいどうすることが最善だというのか。

 

とりあえずは、妄想の話をあおるような合いの手は入れないよう心がけることにした。

後は職員の方に相談して決めようとしている。

 

もっとも難しい点は、おそらく同じ疾患を持つひとに対してでも、そのひとそのひとごとに対応を変えるべきであるという点だ。